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初めて知ったシェイン・マガウアンの本質

2023年11月30日午後11時。たったいま、シェイン・マガウアンの訃報が入ってきました。あらためて、彼の音楽に敬意を込めて、向こうでもどうかやりたい放題で。

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確かに見た。この目で。しかも現地で。年は1998年だったか1999年だったか、多分その頃の、クリスマスの直前の時期。場所はダブリンのゲイアティ劇場。100年以上の歴史を誇るオペラハウス様式のその劇場の中心に立っていたのは、お世辞にもその格式にそぐわしいとは言えない、いやむしろそこにはまるで馴染まない風態の男だった。

シェイン・マガウアン。アイリッシュパンクバンド、ポーグスのボーカルでありソングライターだったが、その時期はあまりの素行の悪さを理由にバンドをクビになっていた。ポーグスを追い出されてから彼はポープスというバンドを組んでいたが、ゲイアティの時の演奏がポープスだったかどうかは覚えていない。

シェインの半生を追った映画が公開されたというので観に行った。5歳で飲酒にタバコ、10代からドラッグに浸り、生きていることが奇跡と言われる男のドキュメンタリー。そんな触れ込みで宣伝したところで日本でどれだけ観る人がいるものかと思っていたが、公開から4週経った夜の上映でもそれなりに人が入っていて正直驚いた。

映画はシェインの歴史を辿る内容でありつつ、そこにアイルランドの19世紀半ばの大飢饉以降の歴史をシンクロさせながら進む。この150年のアイルランドに思いを馳せつつ、シェインがその歴史の裏にあるアイルランド人の鬱屈した感情を音楽で表し続けてきたことが自然に理解できる。

それにしても、どうも僕はシェインという人を勘違いしていたようだ。古臭いアイルランド音楽をパンクロックのフォーマットを借りて音楽的反骨性をもって解体再生したアイリッシュミュージックの異端児、のようなイメージで捉えていたけれど、真逆だった。アイルランドとアイルランドの音楽を心から愛する彼と同時代の音楽がたまたまパンクだったというだけで、実は驚くほど王道で素直なアイルランド音楽家であることが初めてわかった。そして、皮肉屋が多いアイルランドの表現者の中でもとりわけ皮肉っぽく反体制であるように見せかけておいて、実は自分の素直さを何よりわかって欲しいような表情もする。こんなシェインを見たことがなかった。

ゲイアティ劇場でのライブのアンコール。クリスマス目前だっこともあったのだろう。シェインが歌ったのはポーグス最大のヒット曲であるクリスマスソング「ニューヨークの夢」だった。

スタジオ盤ではカースティ・マッコールがデュエットしたが、このライブではシェインの妹シボーンが一緒に歌った。シボーンは今回の映画でも重要な証言者の一人として登場する。映画の終盤、彼女はシェインについてこう語った。

「アイルランド音楽の救済者。それがシェインが自分に対して望む評価」

アイルランド国内でも今、ようやくそうした評価が広く浸透し始めているようだ。映画は、アイルランドのヒギンズ大統領から音楽文化における功績を称える「ナショナルコンサートホール功労賞」を授与されるシーンで終わりを迎える。

この功労賞に異論を唱えるアイルランド人は、おそらくいないのだと思う。シェインの音楽には、アイルランド人の血を無条件に沸き立たせる力が宿っているからだ。ゲイアティ劇場でのライブでも、シェインの音楽を浴びるオーディエンスの反応は凄まじかった。僕は2階席だったが、フロアーはモッシュ&サーフでもみくちゃ状態で、3階席からはビールのプラカップが、時に飲み残しが入ったままの状態で次々に降ってきた。トイレットペーパーも紙テープのように飛び交った。それは、彼らがサッカーの試合に熱狂するその熱量にも似ていた。

だとすれば、シェインの音楽はもはや音楽を超えてナショナリズムに近いものなのかもしれない。ナショナリズムは時に危うい方向に人々を向かわせるけれど、シェインは銃の代わりに音楽を武器に得てアイルランドの誇りを世界に宣言した。1990年代後半、アイルランド音楽は世界でブームを巻き起こし、日本でもそこそこの人気を獲得したけれど、シェインがパンクのフォーマットにアイルランド音楽を乗せていなければ、あの時代のアイルランド音楽のムーブメントは起こり得なかったのかもしれない。

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余談ながら、以前から解き明かしたい疑問が一つ。ポーグスの代表曲の一つ「Dirty Old Town」と三橋美智也の「星屑の町」がそっくりな件。歌い出しの8小節、偶然とは思えないほど一致しています。

「Dirty Old Town」はもとはイングランド人フォーク・シンガーでカースティ・マッコールの父イワン・マッコールが1949年に発表したもの。「星屑の町」は1962年の発表。なので「星屑の町」の作曲者が「Dirty Old Town」に影響を受けたとも考えられるけれど、当時の日本でイワン・マッコールの音楽を耳にするチャンスが果たしてあったかどうか。どちらも「町」をモチーフにしている点も気になるところ。いつか解き明かしたいです。

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髙橋晃浩
たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役