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TOUR2024“MASTER OF SHADOWS”で確信した中田裕二の「追熟する音楽」

中田裕二のライブツアーはできる限り仙台で観るようにしている。日程的に東京公演のほうが都合が良くても、なるべく仙台に足を運ぶ。彼にとっての大事なホームのひとつ。東北人として、そのアドバンテージが得られるような気がするからだ。お客さんの控えめなリアクションも、同じ東北人としてしっくりくる。

ただ、今年のツアーは仙台と東京の2ヵ所でライブを観ることができた。無事にツアーが終わったところで、2つのステージの記憶を辿りつつ、彼の音楽に対して心に芽生えた新しい感覚を書き留めておきたい。

“ソロ”・アルバムがバンドによってどう変わるか

今回のツアータイトルは「MASTER OF SHADOWS」。影の番人、と裕二さんはステージで訳していたかな。まずはその響きだけで心に共鳴するものがある。5月15日に発売された13枚目のソロ・アルバム『ARCHAIC SMILE』に合わせて組まれたツアーで、札幌・大阪・横浜・名古屋・仙台・東京・福岡の順で全7公演あった。

ちなみに今回、僕は『ARCHAIC SMILE』の公式ライナーノーツを書く大役をいただいた。その点で言えば例年以上に新譜を聴き込んで参戦したツアーだった。

『ARCHAIC SMILE』は、作詞・作曲・歌はもちろん、すべてのアレンジ・演奏も裕二さんたった一人で担った、文字通りのソロ・アルバム。その演奏には、それぞれの楽器を専門に奏でるミュージシャンには出せない、いい意味での “いなたさ” がある。とりわけ「ロング・ラン」の引きずるようなベースにはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Family Affair」のようなグルーヴを感じて心躍ったけれど、裕二さんが新譜に合わせたどこかのインタビューで、「Family Affair」が収録されたスライのアルバム『暴動』が制作過程でひとつのイメージとしてあった、といったような話をしていたのを読んで大いに納得した。

だから、今回のツアーの最大の関心事は、『ARCHAIC SMILE』の収録曲がバンドメンバー達の手によってどう料理されるのか。張替智広(ds)、隅倉弘至(b)、SUGARBEANS(key)、平泉光司(g)という裕二ファンにはお馴染みの4人=オーデコロンズが繰り出すアンサンブルは、きっとそれぞれの楽曲に新しい輝きをもたらしてくれるに違いない。

というわけで、大いなる期待のもと、まずは6月15日の仙台公演@Rensaに足を運んだ。

身を委ねていれば必ず気持ち良くしてくれる

ライブのオープニングは、『ARCHAIC SMILE』でも1曲目を飾る「ビターネス」。続いて先ほど触れた「ロング・ラン」。基本的にはアルバムのアレンジを踏襲しつつだけれど、手癖が違えば当然ノリも違ってくる。微妙なようで大きなその変化に、生のステージならではの魅力と醍醐味をさっそく見せつけられた。何より、演奏に余裕がある。演奏に嗜みを感じる。さすがはオーデコロンズ。なんともかぐわしい。

その後もライブは、過去のアルバムの収録曲を挟みつつ、『ARCHAIC SMILE』の収録曲を中心に進む。時にギターを抱えて。中盤は鍵盤を弾きながら。ファースト・ソロ『ecole de romantisme』からピックアップされた「リバースのカード」からは会場の温度・感度を高めていくのだけれど、その高め方もなんともなめらかで心地良かった。「高めてやるぜ」みたいな嫌味がないというか、外連味がないというか。きっとそれは、裕二さんが何の力みもなく音楽を開放していたからなのではないかな。そういうものってオーディエンスに伝わるのだと思う。なるほど。これが中田裕二&オーデコロンズが放つ大人の余裕だな。身を委ねてさえいれば必ず聴き手を気持ち良くしてくれる。

個人的には、昨年2023年の椿屋四重奏ニ十周年をやったことで瘡蓋が取れたような感覚が裕二さんにはあるような気がしている。瘡蓋って厄介だ。肌に突っ張りを感じたり、痛みや痒みがあったり。この日の裕二さんは、心なしかここ数年のソロ公演で一番パフォーマンスがキレているように見えた。今は肌の痛みも突っ張りもなく、今まで以上に自由に動けるようになったんだなと、勝手に想像を巡らせる。

ワインやウイスキーのように味わいが育つ音楽

ひとしきり盛り上がった後の本編ラストはしっとりと、『ARCHAIC SMILE』から「わたしの欲しいもの」。後光が差すような照明のせいか、歌い上げるその姿は菩薩の佇まいだ。

そう、最近の裕二さんは仏教に想いを寄せているらしい。『ARCHAIC SMILE』というアルバムタイトルも、そもそもは飛鳥時代あたりの仏像が湛えるほのかな微笑みを指す(と今回初めて知った)。そのタイトルを踏まえたジャケットも素晴らしい。

思えば、『ARCHAIC SMILE』に収録された各曲には、世の中に振り回されず自分を大切に生きることを説く歌詞が随所に見られる。日々を生きていると、つい誰かと自分を比べたり、誰かの目を気にしたりしてしまう。我々凡人だけではなく、音楽家だってきっとそうだろう。しかし中田裕二という音楽家は、そんな煩悩に惑わされず、誰かの道ではない自分の道を生きること、貫くことの価値を、身をもって、自らの音楽をもって僕らに説いているのではないかと思う。そして、その滋味は作品を聴くほどに深まってくるようにも感じる。

実はこの感覚は今に始まったことではなく、特に2021年のアルバム『LITTLE CHANGES』の頃から思っていたことで、発売してからも作品が成長を続けているような不思議なイメージが自分にはあった。前作の『MOONAGE』も、発売直後よりもむしろ今のほうがその味わい深さを強く感じる。椿屋時代の音楽が若さの瞬発力を味わう音楽だったとしたら、ソロの、とりわけ最近の作品は、寝かされるほど味わいが増すワインやウイスキーのように、燻されて香り立つスモークチーズのように、味わいが育つイメージ。だから、聴きたい気持ちが減衰しない。パッケージされた後に音楽が育つなんて物理的には当然ないのだけれど、中田裕二の音楽は、そんな当然を破って、聴き手に寄り添い「追熟する音楽」なのだと、今回のツアーでようやく思い至った。

世の中が中田裕二に光を見出す日がきそうだ

さて、仙台公演から8日後に品川インターシティホールで行われた東京公演。オーデコロンズの演奏は、仙台よりもさらに仕上がっていた。当てぶりかと思うほど脱力しながらものすごいグルーヴを生み出すアメリカのソウルやファンクのバンドにもはや近い。「誘惑」「愛の摂理」などミディアム系の楽曲に特に顕著だ。会場の広さも相まって、裕二さんの自己解放もさらにその度合いを増していた。

「この感じは若いバンドには決して出せないでしょう」

と裕二さん。本当にそうだと思う。ゴリゴリに押してくる若さにあふれた演奏も時には悪くないけれど、どんなに全力で追いかけても、この手触りにおいて若手がベテランを追い越すことはない。ただし、ベテランが走り続けている限り。

そうか。思えば、中田裕二という人は20年を超えたキャリアをずっと走り続けているんだよな。その意欲とパワーをあらためて感じた2ヵ所の公演だった。

福岡でツアーの千秋楽を終えた後、裕二さんはInstagramでこんなことを言っていた。

https://www.instagram.com/p/C8y_PwBRDSl/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==

東京公演を見ていて、実は僕も同じようなことを考えていた。「世の中が中田裕二に光を見出す日がきそうだな」と。僕、意外と当たるんですよ。そういうの。

微かな光に向けて裕二さんが自分を貫き続ける姿を、これからも檀家のみなさんと共に、しかと見届けたいと思う。

たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役