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第4章 オランダの策略

京都の南、伏見の地で豊臣軍と徳川軍の激しい戦闘が繰り広げられ、両軍ともに甚大な被害を受け続けていた。豊臣はオランダの支援を受けて新式の火器で攻勢をかける一方、徳川もこれに果敢に応戦し、伏見一帯は文字通りの血戦の地となった。しかし、この戦争は予想以上に長期化し、豊臣・徳川両陣営ともに大きく消耗していた。

天皇の権威を頼る苦渋の選択

戦いが激化するにつれ、双方の士気が次第に下がり始めたこともあり、豊臣の陣営では「この戦いを終わらせるには、天皇陛下の権威による仲介が必要ではないか」との声が上がり始めた。一方、徳川側でも同じく、戦況が膠着し幕府の威信が揺らぐ中で、天皇陛下の承認を得ることで停戦交渉が進む可能性に期待する者がいた。

こうして、陛下の仲裁によって戦争を終わらせようという考えが、双方で生まれつつあった。だが、そのためには陛下を京都に呼び出し、直接交渉の場に臨んでいただく必要があるという課題が残されていた。

オランダの策略:新たな提案

この混迷する状況を見極めたオランダは、豊臣の勢力を利用しながら、さらに自らの目的を達成するための策を練っていた。総督ヤン・ファン・デル・ハーグは、両軍が疲弊し合意に達しつつある中で、天皇陛下を仲裁者として引き出し、徳川や豊臣だけでなく日本全土に対する支配力を確立するという野望を抱いていた。

総督は秀頼と重臣たちに新たな提案を持ちかけた。

「戦いは長引き、日本は疲弊しています。豊臣も徳川も、双方が陛下の御裁断によって戦いを終わらせることを望んでいると聞いています。このような時こそ、天皇陛下にお出ましを願い、双方に対して公平な停戦を示していただくのが最善の策です」

秀頼と重臣たちは一瞬、驚きと警戒の表情を浮かべたが、総督はすかさず言葉を続けた。

「ご安心ください。天皇陛下には最大限の敬意をもってお迎えし、陛下の御前において、豊臣家の正統な権利と徳川との停戦を調停いたします。これが実現すれば、日本全土の安定が再び訪れるでしょう」

秀頼の決断と徳川側への提案

豊臣秀頼は、家臣たちと話し合いを重ねた後、ついにオランダの提案を受け入れることを決断した。片桐且元は「異国の者の言葉を鵜呑みにするのは危険である」と反対したものの、秀頼は戦いの終結が豊臣の生き残りをもたらすという希望を抱いていた。

総督は、徳川にも同じように提案した。家康もオランダの提案に一抹の不安を覚えながらも、この戦争を終わらせるためには天皇陛下の仲裁が必要と感じ、苦渋の決断を下した。

両陣営の選ばれし使者

天皇陛下の威光をもって停戦を実現し、混迷の時代を終わらせるため、豊臣と徳川の双方が次に求めたのは、まさに信頼に足る者の選出だった。両軍の使者たちが集まり、誰が陛下を交渉の場に迎えに行くべきかを議論する中で、かつて陛下の近侍として仕えたことのある魁人がふさわしいと一致した。陛下の信任を得ていた彼ならば、両軍が納得できる役割を果たすに違いないと考えられたのである。

魁人はその役目に選ばれ、内心では天皇陛下を再び近くでお守りできることに喜びを感じつつも、激戦の中での停戦が本当に可能なのか不安を抱いていた。しかし、陛下の威光がこの混乱を鎮めると信じ、彼は覚悟を決めた。

天皇陛下との再会

いよいよ天皇陛下を交渉の場へと連れて行く日が来た。魁人は厳粛な気持ちで陛下に謁見し、懐かしさと共に陛下の信頼を感じた。「またそなたが私を守るのか」と優しく声をかけられた瞬間、魁人の心に温かさが広がった。彼は「はい、陛下。この私が必ずやお守り申し上げます」と、揺るぎない決意で答えた。

魁人は重臣たちと共に京都への行軍を始めた。彼の心には、陛下の安全を守ることへの責任と、両軍の停戦実現に向けた期待が入り混じっていた。だが、陛下を迎えるために待ち構えていたオランダ兵たちの厳しい視線が、魁人に一抹の不安を抱かせていた。

無念の瞬間:オランダの裏切り

交渉の場に着いた瞬間、魁人の胸中の不安が現実のものとなった。天皇陛下を輿に乗せ、徳川と豊臣の代表たちが整列している中、突如としてオランダ兵が陛下の周囲を取り囲んだ。その瞬間、魁人は異変を察したが、すでに多勢に無勢であり、止めるすべもなく事態は進んでいった。

「何をするつもりだ!」魁人は叫び、必死にオランダ兵を振り払おうとしたが、彼らは問答無用で陛下の輿を連れ去り、船に向かって急ぎ歩いた。驚愕する徳川、豊臣の両陣営の前で、陛下は無情にもオランダの軍船へと護送され、異国の海へと出港したのだった。魁人は無力感と罪悪感に苛まれた。「私は陛下を守ると誓ったのに…」その言葉が彼の心の中で何度も繰り返された。

天皇陛下を失った日本の動揺

天皇陛下が国外に流刑にされ、日本全土に衝撃が走った。豊臣も徳川も、日本の正統な権威を失ったことで、国をまとめる術を失い、急速に動揺が広がった。徳川家康は無念の表情で、オランダの策略に翻弄されたことを悟り、豊臣秀頼もまた、異国の勢力に豊臣が利用されただけであったと痛感した。

この事件をきっかけに、日本は国家としての根幹を揺るがされる危機に直面し、異国の影響力のもとで再び混乱の渦に巻き込まれていくこととなった。両陣営の疲弊と日本の内部崩壊は、オランダが日本において決定的な影響力を持つことを許す結果へと導いていったのである。

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