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第2章 徳川の焦燥
徳川家康は、大坂で豊臣の強力な武器に屈し、敗北の苦渋を味わった。江戸に戻った彼は、重臣たちを集めて緊急会議を開き、この新しい武器に対抗する方法の討議を始めた。会議では重臣たちが「豊臣がどのようにこれほどの力を得たのか」を議論したが、状況は不透明であり、情報も限られていた。
長崎での交渉と疑念
幕府はまず、長崎の出島にいるオランダ商人との交渉を試みることにした。家康は使者に対し、「強力な武器を提供してほしい」との意向を伝え、長崎へと送り出した。だが、オランダ商人たちは「すでに特定の取引相手と契約を結んでいるため、徳川様に武器を供給することはできません」と断ったのだ。
使者はその返答に困惑し、帰路で頭を悩ませた。彼は江戸に戻り、「我々の求めに対し、オランダ人たちは特定の取引相手との契約を理由に拒絶した」と報告した。その言葉を聞いた家康と重臣たちは、この取引相手が豊臣である可能性を疑い始めた。
「もしや、豊臣はすでにオランダ人と密かに手を結び、我らに対抗するためにその武器を得たのではないか?」重臣たちはささやき合い、疑念を深めていった。家康もその可能性を認識し、さらに慎重に対応する必要を感じた。
情報収集とスペインの接触
同時に、仙台の伊達政宗がスペインと接触を持ち、バチカンとの交流を行っていることを知った家康は、これを機にスペインとの関係を利用し、豊臣の武器の出所について情報を得るべきかと考え始めた。
数日後、幕府にスペインの代理人が接触を求めてきた。代理人は、「我らも徳川様と友好を築く用意があります。もし協力が得られれば、武器の提供も検討できるでしょう」と伝え、徳川に接近しようとした。しかし、彼らは条件としてキリスト教布教の自由を求め、宗教的な影響力を日本国内に広げたい意図も見え隠れしていた。
家康はその条件に懸念を抱きつつも、豊臣の武力に対抗するためには新たな力が必要だと感じ、重臣たちに意見を求めた。
幕府内の対立
「今は豊臣に対抗するためにスペインの協力も考慮すべきだ」と賛成する者もいれば、「異国の影響力が強まるのは危険だ」と反対する者もいた。重臣たちの意見が割れる中で、家康は慎重に「豊臣がどのようにオランダから武器を得たのか完全にはわからぬが、いかなる異国も徳川の力を左右させてはならぬ」と決意し、豊臣を含む大名に鎖国の命令を発した。
疑念の中での結束
最終的に、家康は重臣たちに向けて「今こそ、徳川が一丸となり、内外の脅威に立ち向かう時である」と結束を促した。重臣たちは家康の言葉に深く頷き、各々が新たな任務に向かって動き出した。このように幕府は、豊臣の武器の出所がオランダである可能性を強く認識し始め、オランダ商人の裏に潜む豊臣との関係を完全に断つには、長崎での取り締まりや影響力の強化が不可欠だと考えたのである。徐々に明らかになる異国の勢力との繋がりと豊臣の脅威を前に、徳川家は新たな戦乱の時代へと突入していった。