サマスペ!2 『アッコの夏』(8)
「アッコ、ちょっといい?」
ジャージを着た由里が公民館の引き戸を開けていた。
「どしたの、由里」
「蛍。近くの池で光ってるの」
「えっ、ほんと。行く、行く」
アッコは玄関に降りてランニングシューズに足を突っ込む。
「蛍なんて見たことないよ。そうだ、途中にほたるの里があったっけ」
あの時は疲れていて、ああ蛍ですか、って感じだった。
「ちょいと待った」
調理室から出てきた鳥山に声を掛けられた。
「あっ、ピアス」
カールした茶髪からきらりと星形のピアスがのぞいた。
「見つかっちゃったか。いいだろ」
「はあ」
サマスペに茶髪でピアス? ほかの男子はみな短髪にしている。由里もアッコもまったく化粧っ気がない。この先輩は輪島で合コンでもするのだろうか。
「アッコと由里、こっちに来いよ」
鳥山が部屋の中に手招きをした。
「えっ、あの、蛍――」
「ほら、二人でこれをはめてくれ。俺、こういうの下手くそで」
どこにあったのか、ふすまが壁に立てかけてある。
「あのお、後じゃ駄目ですか。すぐ戻りますから」
「駄目駄目。お二人さんのためなんだからさ」
「私たちの?」
由里がシューズを脱いで上がってきた。
「これを枠にはめればいいんですか」
「そうそう、よろしく」
由里がふすまを一枚持って「ええと」と敷居を見て固まった。
「あたし、家でやったことある。由里、上からだよ。こんな感じ」
アッコはふすまを一枚持って、上の鴨居の溝にそっと入れた。
「それで下の溝にも合わせるんだけど、こつがいるんだ」
何度か試行錯誤しているうちに、下の敷居の溝にぴったりはまった。
「すごい、アッコ」
「いや、家が古い木造住宅っていうだけなんだけどね」
由里がアッコの真似をしてふすまを構えた。真剣な横顔がかわいい。ふすまは全部で四枚ある。
細長い部屋だと思ったけど、もともと二部屋だったのか。そろって食事ができるように、先に来た食当がこのふすまを外して、一部屋につなげておいたんだ。
「鳥山さん、できました」
アッコはふすまを開け閉めして鳥山を振り返った。
「ご苦労、ご苦労」
思ったより時間がかかってしまった。メンバーがほとんど戻っている。鳥山は二つに仕切られた奥の部屋を指さした。
「それでと、二人の寝る部屋はそっちだから」
「えっ」
「調理室以外の部屋はここしかないからね」
二部屋にして一つをアッコたち女子にあてがうということか。
「あっ、ちゃんと考えていただいてるわけですね」
そう言えばこちらの部屋からは男子のリュックがすべて出されている。
「私、同じ部屋で構いません」
アッコは由里の不服そうな横顔を見つめた。
なんでまた? 気兼ねしなくていいじゃないの。
「いやあ、さすがにまずいだろ。元応援団のアッコはいいかもしれないけどさ」
「あっ、どういうことですか、それ」
茶髪の鳥山は、へらへら笑う。
「鳥山さん、仕切らなくてもいいんじゃないですか」
東条がもう半分の部屋で寝袋を拡げながら言った。確かに十人が寝るには狭い。
「俺たち何もしませんよ。それより少しでも広く寝たいです」
東条は持って回らずに、はっきり言うから悪い気にはならない。斉藤が「よくぞ言った」という感じで、こっそりうなずいている。高見沢は何も言わずに頬を指で掻いていた。
「まあまあ。幹事会が決めたことなんだよ」
幹事会、すなわち三年生の園部と早川、石田のことだ。
「でも東条君の言う通りです。男子の寝るスペースが狭くなります。不公平です」
「由里、そう言うな」
副幹事長の早川が部屋の外に立っていた。手に洗った食器と歯ブラシを持っている。
「この先、部屋が一つしかないことは、いくらもあるんだ。せめて二部屋ある時は別々にしよう」
早川が「なっ」と言う。
「でも……」
「由里、男女一緒の雑魚寝じゃあ、男どもが気になっちまうだろ」
大梅田だ。リュックの中を何か探しながら、顔も上げずに言う。
「そうそう、男だって女子に見られたくないこともあるからな」
早川が笑った。
「そのくらい、気づけよな」
大梅田はリュックの中を見て怒ったように言う。アッコはかちんときた。
「その言い方って――」
ゴリラに一言、もの申してやろうと思ったアッコは、由里に背中を突かれた。
「アッコ、もういい」
由里がアッコを見て頷く。
「すいません、大梅田さん。わかりました」
「わかったら、さっさとふすまを閉めろ」
アッコの中で大梅田の評価は再び急降下した。
「はいはい、それじゃあ閉めますよ」
アッコは由里の背中を押して、急ごしらえの女子部屋に入った。
「男子のみなさん。お言葉に甘えまあす」
ふすまを閉めると「あのふすまに手をかけたら死刑だ」と大梅田の声がした。
「消灯十分前」
東条の声が響いた。
「消灯したら私語厳禁」
続いた声は石田だ。園部と石田はゆっくり風呂につかっていたのか、さっき銭湯から帰ってきたところだ。
「えっ、もうですか。電気、消しちゃうの」
「こら、クリス。そこ、俺の場所だぞ」
「オー、僕のスリーピングバッグはどこデスカ」
ふすま一枚向こうで、慌てた声にどたばたする音が混じる。
アッコは畳に座った。
「あーあ、蛍、見たかったなあ。きれいだった?」
「うん。近くにあった池にいたの。緑の光でね。飛ぶと線になるんだ」
アッコはため息をついた。
「ま、仕方ない。寝るか」
リュックから寝袋を出した。男子には悪いが、部屋の真ん中に二つ並べて敷いた。アッコはファスナーを開けて潜り込む。
「消灯五分前、懐中電灯、点けます」
隣の部屋でかちりと音がした。
「えっ、蛍光灯のちっちゃい電球、点けとけばいいじゃないよ」
由里がポケットライトを点灯して枕元に置いた。
「お借りした施設の電気代は、少しでも節約するんだって」
「そうなんだ」
「アッコ、電気、消してみるよ」
蛍光灯が消えるとライトの一筋の光だけになった。なんとも頼りないが、由里と二人で寝るのはなんだかうれしい。友だちの家に泊まりに来たみたいだ。由里はライトの位置を調整してから隣の寝袋に入った。
「サマスペ、始まっちゃったね」
由里がぼそりと言う。
「三十キロも歩いて、自炊のカレー食べて、公民館で寝袋かあ。これが九日間続くんだよね。なかなかおしゃれな合宿だ」
「明日は五時起きだよ」
「げっ。五時かあ。暗いんじゃないの。それよりまだ九時だよ。寝られるかな」
「疲れてるから大丈夫だよ。それよりアッコ」
由里が声をひそめた。
「私、いびきかいたらごめんね」
「それね、あたしの方がうるさいと思う」
「消灯」
途端になんの音もしなくなった。アッコはふうっと息をついた。いつもラジコを聞きながら寝るのだが、スマホは取り上げられた。私語厳禁なら一人で考え事をするしかない。
あたしのスマホ、今、どこを運ばれているんだろう。富山かな、それとももう石川に着いているんだろうか。すぐに追いつくから待っててね。
目を閉じると市役所前の噴水が目に浮かんだ。
あそこから三十キロ以上、歩いてきたのか。道筋を頭の中でなぞった。海、長かったなあ。
ここは新潟。外には蛍。見たこともない緑の光を頭に思い描いた。闇の中に、蛍の群れの光がゆっくりと動く。身体がふわりと軽くなる。
あっ、なんだか眠れそうだ。
アッコは緑色の流れに身を預けた。
――――サマスペ初日 新潟市中央区~西浦区 歩行距離三十三キロ
この辺で、登場人物を再掲します。
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