『サマスペ!』創作の舞台裏⑪ 熊本地震とルフィのこと
熊本で起きた地震のことを『サマスペ!』の中でどう書くべきか
とても迷い悩みました。
今日は小説に事実をどこまで書くか、という記事です。
この『サマスペ!』という無茶な合宿は、私がかつて経験した旅のことを
ベースにしています。通った道も歩いた距離も、そして見たものもです。
熊本が地震に襲われたのは、2016年。私の旅はずっと前です。
しかし小説の舞台は昨年の夏。時系列に並べると
私の旅⇒⇒2016年の地震⇒⇒サマスペ!九州縦断徒歩旅行
この順番です。
悠介、由里、大梅田たち、ウォーキング同好会の一行は去年の夏、九州を歩いて旅した設定です。
私の経験をそのまま小説にすると、地震のことには触れられません。
一方、地震のことを書くには、歩いたルートや現地で見たもの、話したことなど、多くのことを私の経験、記憶と変えなければなりません。
新たに調べることも増えて、実体験から離れていきます。
とても悩みました。
フィクションだから、必ずしも事実を書かなくても良いという考えもあります。この数年の話でいえば、たとえばコロナを小説の中に登場させるか否かは、多くの作家が迷いました。
コロナウイルス感染症が5類に移行した今となっては、本の中に、コロナで行動制限されたりマスクが外せない人々が描いてあったら、読者は違和感を覚えるか、昔のことを書いた小説だと思うでしょう。
熊本は道路などインフラも復旧し、地震を乗り越えて発展しつつあるのだから、地震のことにあえて触れなくとも良いのでは、と思いました。
小国⇒阿蘇⇒大津⇒熊本市⇒宇土⇒芦北⇒人吉
悠介たちが熊本を歩くルートです。地図を眺め、地震と復興のニュースを調べるほどに、迷い、悩みました。
悩んだ結果、地震のことをきちんと書こうと決めました。
地震から力強く復興する熊本を書こう。
そうすることを選んだ一番大きな理由は
悠介たちを、七年前に起きた震災のことを意識せずに、ただ通り過ぎるだけの鈍感で脳天気な集団にはしたくなかったからです。
そこで、阿蘇では阿蘇大橋の遺構と新阿蘇大橋を歩きながら見るというルート設定にしました。
サバイバルのような学生の旅なので、お金を使って経済を回すようなことはできないけれど、震災のことを肌身で知るために、熊本を歩くルートを選んだ。そこで彼らなりに熊本で起きたことを考える。胸に刻もうとする。
そういう学生たちであってほしいと思いました。
田浦の海岸では、新人たちが腹を割った会話をするシーンがあるのですが、ここで、サマスペに疑問を持つメンバーの言葉も挿入しました。
復興のために頑張る熊本で、自分たちはお金を使わずに宿泊場所も無料で借りていて良いのだろうか、学生の甘えではないかと。
(これ、まだ公開前のシーンです・・・)
とは言え、青春エンタメ小説なので、あまり深刻な感じには書きたくありませんでした。それは熊本の人も望まないのではないかと思いました。
復興が進んでいる熊本の人が、日常を取り戻して、元気に頑張っていることを様々に発信しているからです。
ルフィとの出会い
復興のことを調べている時に、ONE PIECEの作者である尾田栄一郎さんが支援していることを知りました。作品のファンである私には現地の方がどれだけ力づけられているか、想像ができました。
ルフィ像を小説に登場させることで、震災に遭った事実と、力強く復興していること、そして悠介たちも作者の私も、熊本を応援している気持ちを、明るく自然に書けると思いました。
このルフィとの出会い(⑫話の後半)は、ストーリーのラストでまた意味を持ってきます。
熊本の地震のことをどう書くか、迷い悩んだのですが、結果、『サマスペ!』という小説に一本、太い背骨が通ったような気がしています。
この小説はnoteの連載ですから熊本の人が目にすることもないでしょう。
地震のことをどう書くべきか悩んだことは、ただの自己満足だったのかもしれません。
この文章も読み返すと、ちょっと恥ずかしいです。
ただ私にとっては大切なことでしたので記事に残します。
落ち着いたら、久し振りに熊本に行ってみたいと思っています。