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十月


あまりにたくさんのこと・情報が目前に在る。

世間のであったり、目の前の人の表情や存在感というそれだけですごい情報量だったり以上、肌や心のゆらめきなどにひさびさに多々触れ、どうしよう・・という気持ちだけではいなかったり。バランスをとるかのように、会わない人への気持ちも働いたりもするような。知ることはないもの、知るはずがないこと迄、簡単に知ったりする機会が増えていることを実感。


何をもって知るなのか…


裸である肉体については、だいぶ真剣に考えてきた時間の連続だった。この十月はひとつの節目になっていそうかな…と感じています。


みせてもらえるんだ…今。そういうことなのか、と。段々とじんわりしていたのが加速し、みせてもらえた見事な花の余韻は今の今もすごい。舞台生活への志というのか、心意気もみせてもらった。なくても生きていけるのかも知れないし、ないものとしているのにも関わらずあたかもあるように言葉や気持ちで振舞うことはある(これが今の主流なんじゃないの)かも知れないし、あるものとして向き合うことは中々難しいのかも知れないけれど、こういうことだよな…とすごくよく分かった。"まず''自分の胸の内に。共有することだってできるかも知れないけれど、何も皆で足並みを揃えて受け取るというものでもないのじゃないかな。"感じる心"それをだいじにだいじに見事な花を咲かせていった人がいた。そんな人の変わらない姿、うつくしいかたち、強い芯…

自分なんかは早々に、時代の雰囲気に負けてしまって匙を投げ出し、捨て鉢になっているけれど…かつては大事にしていたもの、自分の物理故にどんどん持つことに自信を失っていたものに気付かせてもらって、ずっと沈んでいた心がプラスマイナス零の地点に還ってきた。

とてもだいじなこと。いろんな刺激で揺れ動くし、盛り上がりプラスな状態が善とされることも多いけれど、マイナスの領域からの観点も悪いってことはない。ゼロ度線の感覚を今迄知らなかった。いいものと思わなかった、プラスばかりを考えていたから留まろうという発想はなかった。

"感じる心"を、上部だけでなく、よいことも困ったことも何もかもをどこまでも制限をかけずに認め切ったら…

なるほどなぁ…という視界のギフト、"和式"に最近はこだわりたいと思っているので、おみやげって書こうかな、今、"秘すれば花"の片鱗というおみやげに多々包まれ、ぽわーんとしている。十月はこうでなくちゃ。ギリギリな世の中、ギリギリな気候にもあっている。

13という数字はなんとなく好き。


13の暦なる手帳をすこし前に所持し始めた。
たまにお風呂の中でみたりしてる。どうも書くのが駄目になってきた。本当は手帳に思いや考えや願望を書いてみたりしたらいいらしい。


(そしてminoriはスピリチュアル好き壮年女子)


十月に入り、急に何となしに、おしゃれにやさぐれながらも、パーフェクトデイズを送ってそうな人たちと顔見知りっぽくなってきた。どうやら溢れ話や見聞きできる情報から判断するとIT系関連?に長けてる人が多そう。そして、気に入った?"場"に吸い込まれるようにとことん身を置いてもいるような生活様式がおもしろいなぁと思えたりもする。

どんなことがあっても予め決まった"場"へ"日時"を間違えず向かう自分とは逆なのかな。

予め決まっている目的?へ向け、時間や場を変えながらも取り組む?みたいな感じなのかな。たぶん課せられていても、きちんと達成できたことが殆どないから、あまり想像がつかない。

たぶん学校なんかでも、機械的な流れ作業の歯車として訓練されて偶々、どうにか取り組んでいる体裁に嵌った瞬間があったに過ぎない。学校という場へ、時間通り向かったから、何となく…

生活の模様、自分であったり、他人であったりの、そういうものが好きなんだ…と気付いてきた。

営み、稼業により、そういったもの、生活の模様を、封じなければならなかったり、考える暇もなかったり、隠したり、生きてゆくために蓋することの本末転倒…

それらも含めて人の営み、生活の模様をいつくしみたい、あらためてそう思う十月なのでした。


13年が過ぎ去ってゆき、迷宮の入り口が漸くみえてきたよう…

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