見出し画像

闇に吸い込まれそうな日付



タイトルのような、そういう魔を感じない訳にいかなくなってしまう日付が、今思い付くだけで自分には2つ程ある。


そのひとつをこの数日でくぐった。

意識しなければいいだけ、というのもあるし、考えないで要られたらいいのだけど、どうもこの7年間はそんな訳にもいかなかった。

世の中の動きもあるだろうし、自分の取った選択に対しての躍起に自分自身が振り回されていたのが大きい。

あっ、(忙しくてor夢中なことに夢中で)忘れてた…となればよいものが、たぶんそもそもがわたしは"今日は何の日?"にまごうことなく夢中になっていて、インスピレーションを得ようとしてしまうタイプなのでそれはそれでむずかしそう。

まわりと共有する暦でのお祭りや季節の行事へ気分やインスピレーションで参加したり、たのしみを味わったり、はたまたゲンカツギに精を出すのでは飽き足らず、というかその飽くなき"渇望"が、自分だけの魔モノと交信できるかも知れない日を、より意識させるのではないかとも思った。

供養と躍起の年、月、日だった。

後悔というのは本当になくて、そうせざるを得なかった"こと"に向き合い続けてきた。

振り回されている渦中では、



どうしてもそそくさと書き切ってしまいたかったけれど、ここまで書いて下書きのままどうでもよくはなかったのに目の前のことに向き合う日が



お盆なのか、何だか夏なのか


ここらあたりまでを1ヵ月前に書いていた。

ひと月を経てだいぶ涼しくなった。
ようやくちゃぶ台の3/4を拭きあげて、意識を手をあたまを動かし、向けてみているけど、だめだ…

2週間前に、1ヵ月、いやもっともっと遅れの贈りものを何とか出せたのは奇跡で、そのときに半分書きかけの葉書も未だ進まず、直の挨拶も瞬時の判断でできず、やっとあたまがまとまってきたけれど、自分の自分史上に最低のそれしかできなかった勇姿を、よりによってどう考えても今の自分の営みにおいて最も真剣な気持ちを向けたい方の目に入れてしまったこと、あってはならないことが8/7頃に起きてしまった。(3月半ばにも似たようなことは既に起こっていた。もちろんその場のお客さんに何かを感じてもらうことが第一なのは絶対なのだけど、どうしても恩義があったりで、自分の恩を返せるだなんてその15分だけしかないのだから、できるだけのステージをその時もおみせしたかった。どうしても思ったようには踊れないし思ったように動けなかった。理由はいくつか思い当たったけれど、手直しのいい方法まで漕ぎつけれるパワー不足だった。イマイチを抜けなかったし、課題に届いている感じがさっぱりだった。もうちょっとはどうにか仕上げられるのでは、と楽観していたからショックだった。場踊りと演しものはちょっと違う。当たり前だけどいきなりは…)それから更にただ生きることが、自分の嘘や隠し事が呼ぶのだろうさらなる偽り、人の秘め事だなんだに苛まされたりで大変になってきてしまって、どんどん更にからだのコントールどころでないことに。そんな自分の状態でどうにか生きていることに自分で折り合いをつけるのが日に日に難しい。8/7のその1回のステージは、何でこんなことになってしまったのだろうと思う30点にも満たない、もしかしたら過去イチすべてがうまくゆかない時間となってしまった。次の日からは気を引き締めて平均7割くらいにどうにか回復したと思えたにしても…起きてはいけないことが起きてしまう。そういう意味でも神はいる。偶々聞こえてきた人の手厳しい言葉も何となく自分に向かっているように聞こえるようなこともあった。でもどんどん大変なことを急にはどうにもできない。時間が要る。小宇宙での時間は昔よりもあっという間に感じる。いざ、巣に帰れば腐り潰せないほどあるように感じる程に。色々とよくない。晩夏も終わってしまう。やっぱり何をしても何も書けない。まずい。こんなことは今まであまりなかった。できないことがすごい勢いで増えてゆく。どうかしてる。時間だけでは生きていけない。でも何かと時間が要るのだと信頼できる人たちは言う。たしかに時間…。距離、距離感なるものは自分がこのところよく思う。今まで意識しなかったけど、距離に命運がありそう。何度かアドバイスを貰った、深呼吸を忘れずに。今日の記録。


加筆。遡って、2017.07.24

その前日はそうだあの2人と縁のある親子に嘘をついて会っていた。直前まで書類の助けを求めようか迷った。結局は、有耶無耶にことは済んだ。そのどのくらいあとだったか、状況を思い出すに前だったに違いない、阿佐ヶ谷で会った方に、7年後の今尋ねたいこと聞きたいことがある。すごくメールをしようと思ってる、この何日も。たぶん出来る。年賀状は今年も来ていた、確か。新刊の案内の文字があったはず。ありがたかった。この酷暑でお元気だろうか。聞かねば。今年の正月のことは…思い出せてきた。伊豆国で年越。しあわせだったに違いない。三嶋まで足を伸ばした。とぼとぼ沼津駅あたりを徘徊していたら、地震警報。慌てて巣に帰ると、途端に闇に吸い込まれていた。それからは記憶がほぼない。近況を綴って挨拶を投函しているはず。7年前も暑かった。今と少し違う昔の暑さだった。湿気がまだ少ない。殆ど食べれなかった。言いたかった、その時何もかもをも。その目の前の方の仕事や頂いた著書などを読む限り、話してもきっといい相手では間違いなくあったと思えたし、もし何かを話せていたら運命はまた変わっていたかも知れない。でも何を話したらいいのかあの時も分からなかったし、人の結界というのは確かにある。話そうとしてもどうしても言葉が喉にこみあがってはこなかった。その代わりに、わたしは30分くらいの間、脂汗を次第に浮かべながら、全くあたまに入ってこない本当だったら興味深くて意見をしてみたくなるような別の話を、聞いている素振りをして、間違っていないタイミングで合槌を打つのがやっとで、どうにか渇く口中に麦茶をひと口ずつ流しこみ、延々と米を1粒ずつ口に運んでいた。あんなこと、今にも先にもない。

ここから先は

954字 / 1画像

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?