【大特価「女」】賞味期限間近。アラサーになった男好きぶりっ子のお話。
「女」って楽しい。
髪の毛を巻く時、リップを塗る時、ヒールの靴を履く時、花の香りの香水をまとう時、気分がこれでもかというほどに高揚する。
胸の奥底から湧いて出てくる何かを感じる。
化粧
くすんだ顔がハイライトでキラキラとつやを出し、血色の悪い頬にはチークを入れ、顔色が明るくなる。目元にラメたっぷりのアイシャドウを少し乗せればうるうると涙目のような目を作り出す事ができるし、「化粧」は、幼い頃に魔法少女の変身のシーンを見て心を躍らせた事を思い出す。
10代の頃、ミニ丈のピンクのニットワンピと、ベージュのロングブーツを履いて、ファーで首元がフワフワとしたビジュー付きのマフラーに、白いコートを着た。
私は「失恋ショコラティエ」のサエコさんになりたかったのだ。
確か、あの頃から世で「あざとい」という言葉が浸透し始めた。
「ぶりっ子」などと批評されていた存在が、良い光を浴び始めたのだ。
私は昔から女性に嫌われる事、裏切られる事が多かった。
それに加え、母親から人格を否定されるような言葉を幼少期から浴び続けていたため私自身、女に対するイメージはあまり良いものでは無い。
そして男と連む事が多いと決まって「ぶりっ子」「男好き」との声が聞こえてきた。
「あざとい」女子が持て囃され始めた時、私は希望を感じた。「これだ」と。
こういう女が好きでしょ。
それから私は男性にウケそうな服装を好んで買い、身に纏った。
オフショルニット、タイトなタートルネックのトップス、揺れるピアス、ふんわりと巻いた長い髪。
見た目と、中身が一致した瞬間であった。
学生時代からの友人で親友と呼べる女が少数ではあるが居た私は、もうこれ以上女性の友人は要らない。そう思ったのだ。
見た目というものは、人生に絶大な影響を与える。
"あざとい"服装をした私に、男は言った。「可愛い」「綺麗」「好き」だと。今まで満たされなかった何かが埋まっていくのを感じた。
例え、それが下心によるものだとしても。
関係なかった。私はこの生き方をすると決めたのだ。
アサラーになったぶりっ子
時が経ち、現在。
私はアラサーになった。
鏡に映る私は「あざとい」?
いや、「痛い」。
失恋ショコラティエのサエコさんは、確か26歳。同年代だ。
そして今、思うのだ。「サエコさんってちょっと痛いかも」と。
石原さとみが演じているため、作中のサエコさんは最高に可愛いのだが、もし身近に一般人でサエコさんが居たとしたら、ちょっと痛いと感じると思う。
10代の時にはその痛みに気付かなかった。
私は、元々老け顔なのもあり、基本的に実年齢よりもかなり上に見られる。"あざとい"服を着ると、顔のババアさが際立って苦しかった。
もう、ミニ丈のニットワンピは着られない。
もう、肩が大きく開いたトップスは違和感を感じる。
もう、顔と合わせるとピンク色の服が浮いてしまう。
あぁ、年々着られる洋服が減っていく。
最近は年齢に合わせて、シンプルなワンピースや、パンツスタイルばかりだ。
長年体型維持のためにダイエットをしてきたのだが、最近どうも太りやすい。いつまで細身でいられるか分からないという気持ちでタイトな服を着ている。
しかし、アラサーも悪い事ばかりではない。
身につけるアイテムが減っていく中、年齢に合わせた大人っぽい服装は、昔よりも今の方が似合う。
メイクも魅せ方も、場数を踏んだ今、技術力が上がっているような気がする。
私はまだ「変身」できる。
巻き髪で身体のラインが出るワンピースを着た私を鏡で確認すると、私は安心する。
まだ「女」だ。
全然太ってなんかないよ。
私は、太った身体を大きめサイズの服を着て隠し、ホイップたっぷりのフラペチーノを飲みながら「彼氏欲しい」「何で彼氏できないんだろう」などと話し、「可愛いから絶対すぐできるよ」などと慰め合う人種が大嫌いだった。
男を落とすための、生足のためにそんな糖の塊みたいな飲み物は飲むべきではない。
私は一家代々デブ家系。遺伝子は恐ろしいもので、少しでも気を抜くと丸々と太ってしまうのだ。
私はいつも腹が減っている。
それも全部男に「細いね」と褒められるため。
男に貰う言葉を養分に生きる妖怪なのだ。
恋愛体質の夢見る乙女(アラサー)の私。
男に選ばれる為に努力をしてきた。
しかし、今思うのだ。
ブスも、デブも、美人も、最終的に行き着く所はババアなのだと。
太ったブスを男達は嘲笑い、馬鹿にし、下に見る事があるが、ババアも同様である。
どんなに綺麗でも、ババアというだけで下に見られる事があるんだと気付かされる出来事を何度か見た事がある。
私は「女」を使って生きてきて、便利な事が沢山あった。
しかし、ただのババアになって「女」という、この最強カードが無くなってしまったら、私は手元になんのカードが残るのだろう。
これは女の一本売りをしてきた人間の末路だ。
その一本で売ってきたものが手元から無くなる事を今か今かと怯えていて、
私はフラペチーノを片手に慰め合っていた女達を思い出すのだった。あの頃はだらしのない身体を絞る努力もしないで互いに慰め合い、「好かれたい」とだけ願っているような女が嫌いだったが、あの女達は自分のために何か違う努力をしていて、片手間で男の事を考えていたのではないだろうか。
私が男に好かれるための努力に使われた金、時間、力。私は片手間ではなかった。
私からしたら彼女達は努力をしない女に映って見えたのだが、それは努力の矛先が違っていただけなのかもしれない。
私は「馬鹿な女」を演じて生きていたつもりだったが、そんな事も分からないほどに、本当に「馬鹿な女」だという事を今更気付くのであった。
学も無い、金もない、何も無い私が唯一生きていくための手段は「男」だった。
そう、男に寄生していきてきた私は、見事「男」無しでは生きられない人間になってしまった。
男達は25歳を超えたあたりからそれではダメな事を、嫌でも感じ取らせて来る。
「何もできない」私の事が好きだったくせに。
突然のフェミ化現象
もう、男に頼ったりするの、辞めたい。
プライド無しで男に媚を売ってきた女ほど、ある日突然フェミニストに急変する事がある。
私もその1人になり得るかもしれず、もう自分の足で立ちたいと願うのだ。
しかし、体に染み付いてしまったものは取れ辛い。やっぱり男に優しくされるのがたまらなく好きだし、私は人生の愛情不足を今まで男でかなり補っていた。
これが無くなったら私を満たすものは何だろう。代用品が見つからなくて私は辞めることが出来ない。
鏡に映る目の下にはクマが出来てきていて、この間小さなシミを見つけた。
私の見た目が好きだと言う男は、シワとシミだらけになった私の事をもう好きとは言わなくなるであろう。
怖い。
今、たまらなく怖いのだ。
私に向けられた愛情が全て嘘だった事を知る時が近付いてくる。
人として生きる事
「女」って楽しい。
でも、使い方によっては危険だ。
私は「女」というものに骨の髄まで毒されている。
努力の矛先を変えたい。
今私は「女」としてではなく「人」として生きる事を目標に足掻き始めたのである。
今更遅いかもしれないが、このまま何もできないぶりっ子のオバさんになんかなってたまるか。
そう、本当は私は、男ウケのいい今の香水よりも買ってから殆ど使ってこなかった、あまり男にウケなかった香水。このクラクラする程に甘ったるい匂いが好きなのだ。
私はその香水を手首に振りかけると、小さな抵抗をしたかのような気持ちになったのであった。
終
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