おとんという人
私はお父さんが好きだ。
変な意味ではなく、父として尊敬している。
子は親の背中をみて育つという。
30歳まで実家暮らしをしていた私も、
子どもというには
大きくなり過ぎているけれど、
十分に親の背中をみて成長中の
子どもだったらしい。
父親は、私が幼児期の頃、
仕事が忙しく家事を
全くやっていなかったそうで、未だに
母にちくちくと言われているけれど、
私が成人式を迎えた頃あたりからか、
どんなに仕事で夜遅くなっても
必ず寝る前には、
家族全員分の溜まった洗いものを済ませ、台所をピカピカにしていた。
今まで何もしてこなかったと
母は怒るのだけれど、
父の皿洗いは、
乾かすときのお皿の並べ方まで
無駄のない効率的なスペース利用で、
整然と美しい。
三角コーナーまでピカピカだ。
皿洗いには性格が出るようで、
誰が洗ったかすぐ分かる。
父は、美しく整然。
母は、ちょっと山積み状態。
兄は、途中放棄。
もう乾かす場所はないと途中で諦める。
私は、母に同じ。
実家の頃は、
毎夜父がしてくれるからと
甘えてたまにしかしてこなかった皿洗い。
パートナーとの新生活が始まってみると、
洗いものがたまっていると気になって、
寝る前と、
仕事に出かける前と
習慣になっていることに気が付いた。
お父さん、あなたの背中にありがとう。
父は、「人の陰口は言うな」という人だ。
小学生の頃、
「どう考えてもあの子が悪い」
と誰かに話して
発散したいと思ったときでも、
父は聞き役としていい顔をしない。
いつしか私は、
話して発散ではなく、
静かに忘れ去るという方法を身に着けた。
すると、不思議。
物事や人の悪口を言うよりも、
ずっと楽なことに気が付いた。
悪口を言って、
後で自己嫌悪に陥ることもない。
そして、これはさらに後に
気がついたことだが、
マイナスな言葉を発しないでいると、
「あ、この人にもこういう一面もあるな」
「あ、あの出来事ってこうも考えられるのか」
「まぁ、そんなこともあるか」
と多角的に見えやすい気がする。
これはすごいことだ。
お父さんは、いつになってもお父さん。
私が尊敬する大好きな父だ。
ふと思う。
みんなのお父さんエピソードを集めたら面白いだろうな。
下記は、そんな習慣になりつつ皿洗いも
やりたくないと思うことがあるんだなぁと感じたエピソード。
載せちゃうけど、いつも感謝してるよ。
こちらは、おとんと母ともち麦のお話。