うんこマンからの卒業
うんこマンからの卒業。
先週、私のクラスに
進級してきた3歳のSくんは、
うんこマンだ。
進級前の母子同伴クラスでは
名前を言う順番になると、
「うんこマン!」
を頑なに連発。
担当の先生や母親が、
「僕の・・・名前は・・・」
と、代わりに答えようものならば
「うんこマン!うんこマン!
うんこマン~~~~!!」
うんこマン一色で、
言葉をかき消し、我が道を走る。
そうしてSくんは、
母子同伴クラスを
うんこマンのまま卒業した。
進級初日。
Sくんに、
はじめましての挨拶をして
スムーズに母子分離。
椅子に着席できた。
(おっ?頼もしいぞ。)
「お名前を教えてください。」
「うんこマン!」
うんこマンがやってきた。
「ん?」
首をかしげて一拍おく。
「お名前を教えてください。」
「うんこマン~~~!」
ヒートアップしかけたので、
一拍おく。
「ここは、ふざけるところじゃないです。
Sくんは、もうお兄さんクラスです。」
Sくんの目を見て、
はっきりと自然体で伝える。
嬉しい報告があったのは、翌週だ。
その日、
Sくんは朝から情緒不安定で
母子分離で大号泣だったものの、
自分で気持ちを整理して、
帰る頃には
笑顔を見せてくれていた。
帰り際、
「のっぽ先生。この前のレッスンの後、
『僕、なんか間違えたみたい。
もうお兄さんだからうんこマンは、
違ったみたい。』
って言ってきたんです!
ずっと私が同じことを言っても、
伝わらなかったのに驚きました!」
そんな報告をしてくれる
お母さんの存在が、有難い。
「この時間」は、「集中する」が
伝わったのは、
お母さんがSくんのあるがままを、
受け止めてきたからだと思う。
僕には、うんこマンになれる場所がある。
うんこマンの僕でいられる場所がある。
いつでもうんこマンになれる
という安心感が、
うんこマンでない僕へ
一歩踏み出す勇気になる。
自分自身でいられる愛情を感じ、
自分で考えることができたSくん。
うんこマンからの卒業の瞬間だった。