「腑に落ちる」を味わう・楽しむ
スクール卒業後、モニターなどで施術をしながら
同期とも手技の練習会をしているのだけど、
最近、ぐんとお腹との距離が近づいた気がする。
きちんと向き合うこと。
よくよく観察して、
丁寧に、大切に扱いながら、
「寄り添う」こと。
チネイザンの師である加藤さんから繰り返し言われており心がけていたことなのだけど、さいきん感覚的に、まさに「腑に落ちる」瞬間があった。
そして改めて文字にして気づいたことには、
これらはどれも「自分自身に対して」できていなかった、おざなりにしていたこと だった
組織を辞めて cocokaraでチネイザンを学びながら、まともな日常を取り戻しつつ
今いちど、自分を大切にすること、つまり
”自分の人生を生きること″ に向き合う中で、
この手技の奥深さ・面白さを改めて感じて興奮した。
チネイザンと「寄り添う」わたしのイメージ
「寄り添う」ことの極限は、
「わたしがわたしになる・である」ことと同様に
「相手と自分との間に境がなくなる」イメージだろうか。
ややこしいけど、これも腑に落ちてはっとした。
そしていかに「我」をなくし、
相手を感じながら呼応できる状態でいられるか。
チネイザンっておもしろい。
自分を人を、大切にすることで、可動域が広がる。
方法は多分きっと無限にあるし、
その人や、タイミングや時期によって変わるかもしれない。
けどこの捉え方は結構普遍的な気もする。
この先自分がどうなっていくのか楽しみすぎる。
* * *
お腹に触れるたびに感じる要素が増えて、
相手によってそれも違って、脳も身体もばくはつしそう。
けど、こころはすごく穏やか
重心が落ちてきたかんじ。
そしてこれらの気づきのどの瞬間にも、身近な人の言葉や、モニター施術を受けてくださる方、同期や期を跨いだスクールの仲間の存在があって、
反省もありながら、感謝しきり。
いつもありがとうですだよー。
ぎゃい~んどうしたどうした!
自分がこんな「それっぽい」文章を繰り出すとは
想像してなかった(笑)
けど、実感としての言葉はたぶんきっと大事。なので記録。
※写真は好物のはっさく。
天気のいい日にバイト先の非常階段でひとりで撮って遊んだときのやつ。