「空爆の報も吸い込んでゆく掃除機」
「未来のためにできること」は何であろうかと考えてみるが、一向にキーボードを打つ手が進まない。
未来のためにできることなど、今の自分には何一つとして無いように思える。きっと胸を張ってこれだと言える人は、人生に責任を果たしながら自信を持って生きてきた人であろう。
己のことすらままならぬ者が、未来のためになどと考えるだけで顔が赤らんでしまう。そんな大仰なことはいいから、まずはあなたのやるべきことをやりなさいと叱られた気分になってしまう。
この投稿コンテストを見つけた時にもほんの少しだけ苦しく感じて、未来という言葉から目を背けたいと思ったけど、それでも今の自分くらいからは逃げずにいようと応募を決めた。
日曜の午前中に点けたテレビでは、ロシアのウクライナ侵攻が報道されていた。ロシアからウクライナに対して大規模な空爆が行われたというニュースだった。
国をも守るために命を賭して戦う兵士達の姿にも、故郷や住む家を奪われた民間人の悲痛な叫びにも心が痛んだ。
そんな惨状をソファーに座って見ていたら、マンションの上の階から住人が掃除機をかける音が聞こえてきた。いつもは耳障りなその音は平和の象徴のようになり続けて、テレビを見ながら感じていた胸のざわめきを鎮めていくようだった。
窓を開けたのか掃除機の音はより一層大きくなり、集中の切れた僕はテレビを消した。
今世界で起きている様々な災害を他人事だとは思わない。しかし身近で切羽詰まった状況だと理解するには、僕の想像力はあまりにも乏しい。日常に埋もれて、空爆の報さえも掃除機に吸い込まれていく。
それでも日々の中で、何か自分にできることはないかと考える。未来のためになんて大層なことではなくてもいい。たとえばコーヒーショップの店員さんがゴミ袋を交換する姿を見て、この人の掃除が少しでも楽になるようにと考えることは僕にだってできる。
とても些細なことだけど、プラや紙を細く分別して飲み残しを綺麗に流す。家庭のゴミだって地球のためではなく、働く人達の負担にならぬようにと考えて捨てている。
僕の目に映る人達が少しでも快適に暮らせるようにと考えれば、ほんの少しは自分にだってできることがあると思えてくる。
そんな小さな積み重なりが、いつかは未来にまで届けばいいと願うことぐらいは今の僕にだってできるのだ。