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内なる輝きを見つける人生の第二章 : ナマケモノが教えてくれた本当のわたし

ローンや税金が払えない……。


これは、絶望のどん底から突然「本質の自分」と繋がって生きる情熱を取り戻し、五年間海外に滞在して自由を感じて生きられるようになった、わたしの体験談です。


「本質の自分」と繋がったきっかけは、一本のナマケモノの動画でした。



【絶望】一番暗かった夜明け前


これまで感じていた幸福を、同じことでは感じられなくなったり、強制的に仕事や環境を変えなければいけない時がありませんか?


わたしには度々ありました。

それが極限に達したのは、2012年。
人生に絶望したわたしは、一日のほとんどを寝込んで過ごしていました。


カラダは健康、体力も十分!
なはずなのに、何かしようとするとカラダが動かなくなるんです。

ひどい時は、仕事の面接に行くために起きようとすると、意識は起きているのにカラダは金縛りのようにコントロール不能になるなんてことも。


この時は、再び眠っていくカラダに引っ張られて意識も眠りの世界に行ってしまい、絶対に面接に間に合わない時間に目が覚めました。
何もなかったかのようにスッキリと......。

面接をすっぽかしたということでお相手は激怒。仕事を得るチャンスさえも逃してしまいました。


こんな感じで、この時期、生きづらさMAX になっていたのです。


絶望から救われたくて見漁ったYouTube


眠い動けない、動こうと気負うとカラダはさらに言うことを聞かない。

一人暮らしでほとんど働かないのだから、マンションのローンやら税金は滞納。


絶望からさらに絶望の淵へと追いやられていくわたしが救いを求めた先は、YouTube の精神世界の動画でした。


正常な精神の人からすると、楽になるための行動として YouTube を観るというのは「???」ですよね。

違和感満載だと思いますが、絶望の最中のわたしには、気持ちを変えてくれそうな動画を観るのがやっとだったんです。


布団に潜ったまま iPad で、ひとつの動画を観終わったらすぐに次の動画......。

ひたすらに繰り返していたある日のこと。

ある動画を見終ると、iPadの画面には「あなたへのおすすめ」として、ずらりと動画のサムネイルが並びました。


「?!」

目に飛び込んできた一つのサムネイル。

どう見ても精神世界とは関係なさそうです。


この世のものなのかそうではないのか。
よく分からない毛むくじゃらが地面を這っている......。


UMAかなんかの特撮動画なのか?

観てしまったら時間の無駄なんじゃないか?

一刻も早く救われたいわたしに非生産的な時間は必要ない!
(そもそも寝込んで何も生産なんかしていないのですがね)


わたしの中の「本質の自分」と繋がった


躊躇するも、この毛むくじゃらが生き物なのか作り物なのか、どうしても知りたくなって動画を再生してしまいました。


観るとそれは……、
れっきとした生き物でした。


すぐに調べると、この毛むくじゃらは「ナマケモノ」。


舗装された細い道を横切ろうとしています。

気が遠くなるほどノロくて、途方もなくぎこちない。

猛スピードで通り過ぎる車に気づいているのかいないのか、めいっぱいに手を前に伸ばしながら道路の中央へと進もうとしている。

こんなに平和な生き物が、地球のどこかで人間の勝手で命の危険に晒されているなんて!


「そうだ、ナマケモノを助けるんだ!」


動画を観終わるやいなや情熱は最高点に達していて、絶望はすっかり消えていました。

そしてこの時、わたしの中の「魂」とか「本質」と呼ばれるものに気づいたんです。


それまで、海外といえば添乗員さんつきのツアー旅行しか経験はなかったし、海外移住している知り合いもいない、ワーキングホリデーができる年齢は過ぎているし、どうやったら行けるのかなんて全くアイディアは出てきません。


しかも、ローンの支払いが残るマンションを抱えているし、
もっと言うとこの時点でマンションのローンや税金は滞納しちゃってる。

普段の頭なら「こんなことできたらいいなぁ」と想像して終わりです。
 

でもこの時のわたしは、当然のようにこう考えました。

「ちっぽけなアイディアしか思い浮かばないわたしががどうしようか考えるより、大いなる源に委ねよう」


大いなる源と繋がっているのが「本質の自分」


わたしたちは、層のようになっていろんな次元に存在しています。

普段、わたしだと思っているわたし。
普段は忘れちゃっている、他との繋がりを感じる本質のわたし......。


この、普段忘れている本質の自分は、何もかもがある「大いなる源」を感じることができます。


わたしがナマケモノを助けたいと思って本質の自分に繋がったとき、「初めて大いなる源の存在が分かった」のではなく、元々知っていたものを思い出したという感じを抱きました。


そして、ここから強力な「引き寄せ」が起こります。

そして、世間に知られる「引き寄せの法則」で、決めれば叶うとか、願ったら忘れると言われている理由もわかりました。

これらは本質の自分に気づくと自然にできることなんです。


エゴの自分に在るときに、形だけ真似して再現しようとしても難しいんです。


生きづらさの理由


ナマケモノの動画を観てから二年後、わたしは移住を視野にコスタリカへ旅立ちました。

コスタリカでわたしが一緒に住んでいた家族


「二年を要した」というよりは「たった二年しかかからなかった」。
ローンや税金を滞納するほどの困窮からの巻き返しですからね。


大いなる源に任せず自力でやろうとしていたら、もっと年数がかかっていたし、もっと言うと、一生実現することはなかったでしょう。


それからは、コロナで世界が緊急事態になるまでの五年間、コスタリカやいくつかの国に滞在。

今、わたしは日本にいますが、海外に出ることにハードルはありません。


わたしは本質の自分に繋がって自由になったんです。

あの「生きづらさ」は、本質の自分を忘れて魂の道からずれていたからなんだと今はわかります。


今、自分のやりたいことがわからないとか、人生うまくいかないとか、生きづらさを感じているとしたら、それは「本質の自分」からのメッセージです。

「魂の道からずれていますよ」って伝えているんです。


ナマケモノに救われていた


ところで、日本を出て四年が過ぎた頃、日本からメールが届きました。
わたしが絶望する何年か前から連絡を取っていなかった友人からです。


わたしは、数ヶ月寝込んだこと、ナマケモノを助けたいと思って復活したこと、今は心から自由を感じていること、人生は想像を遥かに越えた展開になるものだということ伝えました。

そして、実はナマケモノをまだ助けていないことも。


友人からの返信はこうでした。


「落ちて死人の様でも、なんか探したんだよ。自分で。

そこで、ナマケモノが救ってくれた。

人の命、一体誰がナマケモノが救うと思うかね。
遥かに越えてる。」


そうか。
わたしがナマケモノを助けようとしたんじゃない。

ナマケモノがわたしを助けたんだ。