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『怪人二十面相』(江戸川乱歩)/変装の天才と名探偵の冷徹な愉悦
江戸川乱歩は、1894(明治27)年生まれ、日本の推理小説の基礎を築いたと言われる人物だ。この『怪人二十面相』は昭和11年、「少年倶楽部」に発表された子供向け小説だが、その表層を超えた描写には、大人をも唸らせる知的刺激が潜んでいた。
物語は、変装の天才・怪人二十面相が東京中の美術品や宝石を狙うところから始まる。美しいものばかりをターゲットにし、犯行前には堂々と予告を出す—この大胆さに釘付けにされ、一気に物語に引き込まれる。
"ただ、せめてものしあわせは、この盗賊は、宝石だとか、美術品だとか、美しくてめずらしくて、ひじょうに価値のあるものばかりを選んで盗むことでした。"
この一文からは、怪人二十面相の行動が単なる窃盗を超えて、美学的な挑発という側面を持つことがうかがえる。彼の行動の根底には、美への執着を利用して世間を翻弄する狙いがある。彼が求めたのは、美そのものか、それを通じて人々に何らかの影響を与えることだったのかもしれない。その意図は最後まで明確にはならないが、社会に対する微妙な挑発の匂いが漂う。
一方、対抗するのは名探偵・明智小五郎。彼の冷静沈着な性格は広く知られているが、その行動をよく観察すると、単なる論理的な探偵に収まらない面が見えてくる。特に、犯人を追い詰める場面では、相手を心理的に追い詰める冷徹さと、どこか楽しんでいるかのような余裕が垣間見える。
例えば、こんなシーンがある。
"明智は小林少年に計画を淡々と説明した。その語り口には、確固たる自信と微かな笑みが浮かんでいた。"
この描写に表れるのは、彼が自分の知性や論理の力を誇示しながら、状況を支配している感覚を楽しんでいる姿だ。明智の追跡は純粋な正義感だけではなく、狩人としての本能的な愉悦を含んでいるように思える。冷徹な笑みが計画の背後に漂うたび、「いや、この人楽しんでるな」と思わず心の中で突っ込みたくなる。
また、二十面相が老人を翻弄する場面も心理的な緊張感に満ちている。
"二十面相は、まるで世間話でもしているように、おだやかなことばを使いました。しかし、老人にしてみれば、そのおだやかなことばが、かえって、なんというか、ざんこくで、ぶきみでたまらなかったのです。"
二十面相のこの行動には、日常を装うことで非日常を強調する狡猾さがにじみ出ている。世間話のような穏やかな言葉が、異常な状況にいる日下部老人にとってはむしろ逆効果となり、その不自然さが彼を一層追い詰める。このギャップが、二十面相の冷徹さだけでなく、演出家としての一面をも際立たせている。老人の困惑と恐怖に寄り添うかのようでいて、実際には突き放すようなその態度が、彼をただの犯罪者ではなく、不気味な魅力を持つキャラクターに仕立て上げている。
さらに、乱歩は物語の中で子供の無邪気さを強調している。
"でも、子どものむじゃきな思いつきが、ときには、おとなをびっくりさせるような、効果をあらわすことがあるものです。"
この無邪気さは、大人の論理では解けない問題に対する柔軟な発想を感じさせる。それは、乱歩が描く子供たちの純粋さが持つ力であり、時に大人の固定観念を揺るがし、予想外の形で解決策を提示する契機となる。しかし、この視点には別の側面もあるように思える。私たちが物事を複雑に考えすぎていることへの警鐘として、この無邪気さが機能しているのではないだろうか。煩雑な問題の中に隠れた本質を子供の目線が浮き彫りにし、私たちが見過ごしがちなシンプルな答えを指し示しているようにも思える。
読了後、私は静かな余韻に包まれた。明智小五郎の冷静さと冷酷さの境界は、物語を通じて揺れ動き、彼を単なる探偵以上の存在へと引き上げているように感じられる。犯罪者を追い詰める姿勢の中には、人間的な情熱と非人間的な残酷さが同居し、私を大いに困惑させた。その視線の冷たさが、時折、楽しさすら垣間見せる瞬間に変わるとき、探偵という枠を超えた、得体の知れない魅力を感じたのだった。(ちなみに二十面相とのやり取りの場面では興奮のあまり「明智小五郎は、ドS」とメモっている。)
昭和の子供向け小説として軽快に読める一方、『怪人二十面相』には、美と論理がせめぎ合う構図がある。二十面相が美術品や宝石などの美しいものを狙う行動には、単なる窃盗を超えた美学が潜んでいるように見える。それに挑む明智小五郎の冷静な追跡劇は、単なる犯罪解決を超えて、互いの価値観の対立を際立たせている。これらの交錯は、物語を単なる善悪の対決以上のものに昇華させている。
江戸川乱歩は1965(昭和40)年に亡くなっているため、彼の著作はパブリックドメインとなっている。今回読んだ『怪人二十面相』含め複数の作品が青空文庫にあるので、また他の作品も読んでみたい。