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深いことだけ

いきなり深いことだけ話せる、話そうとできる。ので、私は哲学が好きだった。

日常生活の中(例えばふと人とすれ違った時、仲間内で飲み会に行く時)では、なんとなく言いにくいことが色々とある。
愛、死、生きる意味、宗教、善、などなど…。
高校生ぐらいの頃の思春期の私は、人々が“本当のこと”を懐の奥に隠しており、どうでもいい表層の部分を全面に露呈して生きているのだと信じて疑わなかった。

日常会話の中でそれらの話題について話すには、結構相手と親しくならないといけない気がする。
しかし、すでに日常会話の方を頑張りすぎて、重い空気にしたくなくて、なかなかそっちに舵を切れなかったりする。
舵を切って、死について色々言っちゃった後、ああ、なんかごめんね、変なこと言っちゃったかも……ところでこのお料理美味しいね!って日常会話に戻れるよう軌道修正しようとしてしまう。

目の前の相手と深い会話をできるだけのコミュニケーション能力がなく、それでいて人間の1番深いところを知りたいと思う野次馬気質の不精者の私は、それゆえに本ばかり読むようになったのだろう。

これまでの人生で、家族以外で親しくなった人たちも、“深いこと”を言っていたような人たちだった気がする。

でも本当に“深いこと”ってなんなんだろうか。
今日の何気ない会話の中に、
美味しく感じたお料理の中に、
その辺に生えている雑草の中に、
回収され忘れたゴミ袋の中に、
隠されたどこかではなく、目の前の身近なものの中にこそ、“本当のこと”が転がっているかもしれないのに。

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