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最近の記事

鏡像

「都会には自分と似たような人が集まっている」 そう言っている友人がいて、私は彼のことを少し羨ましいと思った。 私は誰も私に似ていないと感じる。 誰かと誰かも似ていない。 もし私が私に似ている誰かを見つけられたら、 それはとても素晴らしいことだと思うし、 とてもゾッとすることだとも思う。 *** スタニワフ・レムの『ソラリス』の中で、絶対的な他者との関わりの中においても、結局私たちは自分自身しか求めていない、ということを言っていた気がする。 海の形をした宇宙人は、人間の記

    • 届かない言葉

      「積み重ねた行為に比べれば、言葉って本当に何の意味もないよね」 そうふいに言葉が口をついて出てきて、自分はなんて後ろ向きなことを言うんだろうとうっすら後悔し始める直前に 「それは本当にそう思う」 と友人が全面的に肯定してくれて、それが最近起こったことのうち1番嬉しかったことの1つである。 友人は荘子の「言を忘るるの人を得て、これと言わんかな(言葉を忘れられる相手を見つけ共に語り合いたい)」という言葉を引用していた。 友人の本棚には、私の家の本棚と同様、名著がぎちぎちに詰ま

      • AIの演者が映画に出る日

        今日思いついたこと。 AIの演者が映画に出るようになれば、映画の内容はより陰鬱なものになっていくのだろうか。 VOCALOID台頭以後の日本の音楽シーンで陰鬱な曲ばかり流行るようになったように。 映像は人と人の関わりがなければ作ることができないので、最低限のコミュニケーション能力や政治力(?)がないと現場を回すことができない。 結果として、その界隈で発言権や決定権を持つ人は最低限のコミュ力を持っていることになり、恋愛や任侠など人間関係に重きを置いたストーリーが多く制作され

        • 『対話とは何か-哲学カフェ・思考の現場-』制作レポート

          2023年に制作したドキュメンタリー作品『対話とは何か-哲学カフェ・思考の現場-』(12分)を、この度「きみの南海映画祭」で上映いただく機会をいただきました。 期間:2024年2月10日〜12日 場所:八幡工房(和歌山県海草郡紀美野町小畑73−1) 「きみの南海映画祭」HP お近くの方はぜひよろしくお願いいたします。 今回は、上映が決まった記念に、過去に書いていた制作レポート(五芸祭の記録)を公開します。 ===============================

          葬いという行為を展示することの問題 -ベンヤミンの礼拝的価値・展示的価値を参考に-

          「以前の使われ方の痕跡を残しながら、『礼拝的価値』(Kultwert)を『展示的価値』 (Ausstellungswert)に変質させることで芸術作品は現在と過去のあいだの連続性を体現することが出来る」(ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」より)  第3回の授業の中で、上記の表現があり、ベンヤミンによる芸術作品の展示についての考察について興味が沸いた。  本稿では、筆者が行った、近親者の死をモチーフにした作品展示が、ベンヤミンによる芸術作品の歴史観においてはど

          葬いという行為を展示することの問題 -ベンヤミンの礼拝的価値・展示的価値を参考に-

          誰かの死を意味づけるということ

          2004年のインドネシアのスマトラ沖地震では、当時の人口26万人のうち、約6万人、おおよそ1/4の人々が亡くなっている。 あまりにも多くの人が亡くなった結果、その土地にもともとあった紛争は、地震の後消滅した。その土地のイスラム教徒の人々は、神様が地震と津波をもたらし、それによって紛争を辞めさせてくれたのだと考えている。 今インドネシアに行くと、街中の至る所に、神が津波をもたらすイメージのレリーフを見ることができる。 それは、私が日本からインドネシアに行く前に、インドネシアの人

          誰かの死を意味づけるということ

          所在ない

          2023/12/11の日記 店に入った瞬間に、失敗したかもと思った。 映画が始まるまでの間に、さっと夕食を済ませたくて、たっぷりのチーズが食べられると看板に銘打ったお店に初めて入った。 華やかな装飾の店内は、カップルや友達同士の客でわいわい賑わっていた。クリスマスソングが絶え間なく大音量で流れていた。1人で店に居るのは私だけだった。 店員が、ワンドリンクオーダー制であることを、席についた私に伝えた。メニューの料理はどれもやたらお洒落で高かった。頼んでもいないお通しがやって

          所在ない

          四十九日(テキスト部分)

          2023/09/26 お通夜の式場に入った時に、親戚の方が 「おばあちゃんの顔を見てみる?」 と聞いてくれました。 その人について行って、私は亡くなった祖母の顔を見ました。 死に化粧をしている祖母の顔は、祖母ではないみたいでした。 それから、その場で、親戚の方々と世間話をしました。 勤め先や、学校についての話。 会うのが久しぶりなので、そういう話になりました。 その場所には死体があるのに。 仕事とか会社とか、生きている人にとっては大事だけど、 死を前にすればもうそんなのど

          四十九日(テキスト部分)

          朝日について

          あれは高校生の時のことだった。 通学中のバスの中で、膝の上に新書を広げていた。養老孟司さんの本だったと思う。 バスが橋の上を通過する時、川に反射したあまりにも眩しい白や黄色の朝の光が目に飛び込んできた。 その時私は、光に包まれながら、朝日は夕陽に似ていると思った。 始まりと終わりは、実は同じものなのだと直感的に思った。 その瞬間だけは、自分は世界の真実に接続している気がした。この光景と、その時の思考を、自分は一生忘れないだろうと思った。そして実際、それから10年経った今もはっ

          朝日について

          深いことだけ

          いきなり深いことだけ話せる、話そうとできる。ので、私は哲学が好きだった。 日常生活の中(例えばふと人とすれ違った時、仲間内で飲み会に行く時)では、なんとなく言いにくいことが色々とある。 愛、死、生きる意味、宗教、善、などなど…。 高校生ぐらいの頃の思春期の私は、人々が“本当のこと”を懐の奥に隠しており、どうでもいい表層の部分を全面に露呈して生きているのだと信じて疑わなかった。 日常会話の中でそれらの話題について話すには、結構相手と親しくならないといけない気がする。 しかし

          深いことだけ

          ぼやけた光

          少し前の日記。 同居人と一緒にスーパーへ買い出しに行く。 帰る途中、重くなったマイバックを持って、公園のベンチで休憩をする。 コンタクトレンズを付けていない私の視界はぼやけている。 街中のマンションの灯り、街灯、信号、車のランプが、不明瞭に光る。 よく見ると、ぼやけていたと思われる光にも、微細な模様があることが分かってきた。 私の睫毛、蛍光灯の形などで、その模様は決まっているらしかった。 「あの光はウニのようで、中には丸い玉がぎっしり詰まっている。顕微鏡の中のボルボック

          ぼやけた光

          暗闇に耐える

          2023/08/20の日記 夏季休暇に入り昼夜逆転している。 夜間はひたすらスマホをいじり、日が上るとやっと眠気に襲われ、昼過ぎまで爆睡している。 こんな人間が夜行バスに乗るとどうなるか。 夜間に走るバスなので、当然、全く眠れない。 帰省のため高速バスに乗った。 消灯時間を過ぎ、バスの中は暗闇に包まれる。 貧乏な人間をできるだけ多く運搬することに特化したその乗り物は、1人辺りに与えられるスペースが限りなく狭い。 ぴくりとも動けない私。 視界は、時折カーテンの隙間から漏れ

          暗闇に耐える

          「見えるものと見えないもの−画家・大﨑真理子のみた風景−」上映によせて

          中学の同級生だった大崎真理子さんの映画が高知市のあたご劇場で 2023年8月12日から25日まで上映される。 本記事はその宣伝を目的とするものだが、私がよく知るのは画家としての真理子さんではなく友人としての真理子さんであるため どうしても私心を多く挟んだものになってしまう。 本当は、宣伝にかこつけて、彼女との思い出を振り返り、自分のどうすることもできない極めて個人的な感情を吐露したくなっただけかもしれない。 「まりちゃんがねぇ、死んだのよ」 2018年2月。 彼女の母

          「見えるものと見えないもの−画家・大﨑真理子のみた風景−」上映によせて

          東京でのバイト

          2023/1/27 エレベーターに乗り合わせた人たちの背格好でだいたいどの階にどまるかわかる。 綺麗な女の人はラウンジがある7階で降りる。 うきうきした家族連れは焼肉屋がある5階で降りる。 身なりをあまり気にしていなそうな人は古本屋がある3階で降りる。 いらっしゃいませ。 当店のアプリやポイントカードはお持ちでしょうか。 お値引き入りまして120円になります。 500円お預かりします。 380円のお返しです。 ありがとうございました、またお越しくださいませ。 自分が機械のよ

          東京でのバイト

          27歳で藝大に再入学してみて

          私は2022年3月に東京藝術大学に27歳で再入学した。 それまでは地元の大学で哲学を学んだ後、地方公務員(図書館司書)をしていた。 この記事では、入学から1年近く経った今、入学前に気になっていたことなどをまとめている。 去年の今頃、「再入学 美大」「再入学 退職」などでググっては、自分と同じような境遇の人たちがいることに勇気をもらっていた。 この記事が、誰かにとってのそのような位置付けになれば嬉しい。 過去の自分に語りかけるつもりでこの記事を書こうと思う。 入学してよ

          27歳で藝大に再入学してみて

          小説『私が表現をする理由』

          ※大学の授業で書いた文章。 ヒモに恋する女性を、表現を追い求める作家自身(私)の例えとして小説を書いています。 ーーーーーーーーーー 「あなたには苦労ばかりさせられてきたわ」 古いアパートの六畳間の片隅で女が言った。彼女は築数十年の間に幾人もの人間達が滞在したことを思わせる黒々としたフローリングの上に座っている。 その向かい側では、うつくしいひとが、静かに彼女を見つめていた。 「私、あなたのためにたくさんのことをしてきたわ。たくさん自分を犠牲にしてきたわ。多くの痛みを

          小説『私が表現をする理由』