「絶望的なまでの分かりあえなさ」について(4)
そんなわけで、自分の子供たちや、自分自身とさえ分かり合えないのに、それ以外の人たちと完全に分かり合えるなんて思っていません。むしろ、完全に分かり合えちゃう人がいたら、とっとと逃げ出しちゃいそうです(なんでやねん!)。なんか、完全にはわかられたくない!ってのはあるじゃないですか。
分かりあえないことが前提なんだけど、そこをなんとか工夫して分かりあおうと努力することこそが大事なんじゃないかな、と思います。それが言葉による対話だったり、言葉を使わない対話だったり、いろんな形があると思うけど。
Zoomでのミーティングやパフォーマンスなどを何回かやってみて、この「分かりあえなさ」加減がさらに増していると感じます。だからこそ、みんな工夫して一生懸命わかりあおうとしてみたりする感じが、なんだかとってもいとおしかったり。
ここから先は
981字
/
1画像
2020年7月 "invasion"のためのnote
1,000円
2020.07.24/26に開催されたオンライン・ストリーミング・パフォーマンス"invasion"のために書いた記事です。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?