「つながり」と「へだたり」の #おべんとう展
サラリーマンが密集する都会のランチ1000円区域に勤めていながら、昼休みが12時から13時に固定されている公務員予備軍(わたし)が、「社食」という名の逃げ道も断たれた状況で「毎日おべんとう持参」という選択に至ったのは、きわめて自然な流れでした。
ですから、東京都美術館の『BENTO おべんとう展―食べる・集う・つながるデザイン』には、「美術館がおべんとう??」という第一印象の違和感すらをもスルーできるほどの親近感しかありませんでした。
こちらの出展作品兼予告アニメで、その全容を把握することができます。
実際に足を運んでからもう一度観ると、「あの作品のモチーフだ〜!」みたいな気づきがあちこちに。すすす、すごいよ…。
作者は、わたしが勝手に慕っております発酵デザイナーの小倉ヒラクさんです。このアニメができるまでのこともブログにまとまっているので、ぜひ合わせて楽しんでいただきたいです。
会場では、特大ネ子ちゃんに会えました。
アニメに登場する古いおべんとう箱や各国のおべんとう箱は、会場に実物が展示されていて、中にはからくり玉手箱のようなものもあったのですが、ついつい毎日使うことを前提に眺めてしまい、
「洗うのが大変そうだな〜」
と思ってしまう現代日本の平民。
いろいろな構造や材質のおべんとう箱から考察したのは、
「汁物を入れているのかどうか」
でした。特に、香りの強い汁物を主食とする人々のおべんとう箱の密閉力には努力を感じました。
さて、展覧会の副題「食べる・集う・つながるデザイン」からもアニメ作品からもわかるように、おべんとうを誰かに作ってあげたり作ってもらったり、みんなで食べたりといった、「つながり」がテーマでした。
たとえば小山田徹さんが娘さんと「共謀」し、その弟さんのおべんとうを合作した記録は、とてもピュアな「つながり」の現れ。
(ちくわ率よ…)
けれどもわたしは、なんだか逆のイメージを持ち帰ってきました。
つながりがあれば、へだたりもある。
おべんとうを食べる人々の写真が並ぶ、阿部了さんの作品。
食べている人の目は、みんな内側を向いているようでした。何なら瞑ってもいました。
おべんとうを食すことは、自分の世界への没入。
誰かのおべんとうは、土足で入ってはいけない誰かの世界。
誰かと一緒におべんとうを食べたとしても、誰かのおべんとうの大半をいただくことってないでしょ。
他人様のお宅の麦茶から溢れる他人様の日常に舌が躊躇するように、他人様のおべんとう箱に箸を差し込むのはそう簡単にできることではない。
逆に、わたしのわたしによるわたしのためのお弁当は、そのすべてがわたしのものであり、それを口にする時間もまた、わたしだけの時間なのです。
おべんとう箱を開けている時間は、いつどこにいたってわたしの時間。
だから決して邪魔をしないでください。
というオーラを、昼休みのわたしはムンムン放っているのだろうな。
森内康博さんが中学生たちと一緒に撮影されていた、はじめて自分のお弁当を作るプロセスを記録する映像作品も、おべんとう箱の中を覗くと映像が始まるという実においしそうな見た目でしたが、あやうく食べそうになったりはしませんでした。
やはり「彼ら」のおべんとうなので。
観終わってから、無意識にも心の中でごちそうさまって言っちゃいましたが。そこは、おべんとう箱という物体の威力です。
おべんとうの圧倒的プライベート時空間性を見せつけられた今、「誰のものだかわからないおべんとうを作って売る」というおべんとう屋さんビジネスは、けっこうな破壊的イノベーションだったのではないかと思えてきます。
「誰か」から「誰でも」へ、おべんとうを解放してしまったのだから。