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一目惚れしたアーティスト

作曲というのは才能がモノをいう世界だと思う。

私に音楽的な素養は一切なく、この類の話をするときに本来不可欠である、音楽知識やリズムの話を満足にすることができないことを先に表明しておこう。本稿に限ったことではないが、今回ばかりはとりわけ自己満足の色が強い。

まず、音感を持っているのが絶対条件であるし、1人で作るのであれば、作詞というある種の文筆能力を問われる。

学問では、先行研究と内容や表現は絶対に被ってはいけないし、また実用性を尋ねられて困ることだってある。
音楽の世界には一体どれだけの先駆者がいて、何千何万人のその世界の権威がいるのだろう。その道の天才たちと歌詞、メロディーを重複させてはならず、かつ人々を惹きつける独自のキャッチーさという目に見えない成果が求められる。
私自身に全く芸術の才能がないだけに彼らへの尊敬の念は絶えない。

そんな天才たちの中でも私を特に惹きつけた「天才」がいる。

稲葉曇 氏だ。ボーカロイドとともに活動するアーティストである。

通常、同氏のことを語るのにはwowaka氏との関連に言及すべきなのであろうが、音楽知識のない素人の私が、同氏のwowaka氏へのリスペクトを推し量るというのは何ともおこがましい。
何よりその視点で語ると、私から一人のアーティストとしての「稲葉曇」氏へ向けたリスペクトを軽んじてしまうような、そんな不快感が生ずるからである。
その上で、なぜ同氏にここまで心惹かれるのか、言語化する機会が私自身としても欲しかった。

本来、音楽というセンセーショナルなものを言語化するという作業は危険を孕んでいる。楽曲に対する感想は人それぞれで、個人の感性に大きく依るものであるだけに、どうしても独り善がりになりがちだからである。
その上でどうか、私の暴挙を許してほしい。


同氏の楽曲にここまで心惹かれる理由を遡る。

私が小学6年生であった2012年に、wowaka氏の「ワールズエンド・ダンスホール」を初めて聞いた。これが私のボーカロイド遍歴における始点である。

衝撃を受けた時のことは今でも覚えている。
とても人間には再現が難しいような。ボーカロイドという無機物的な声音でなければ許されないような、命を削るような歌唱である。

これ以降、周囲でもボーカロイドが少し流行し始めていたが、やはりサブカルチャーとしての色彩が強いものであるから万人受けするものとはいえなかった。

それと同時に、当時の流行り方は個人的に健全なものとはいえなかったような気がする。
楽曲そのもののメロディや歌詞ではなく、それらの想像を掻き立てるためのPVのキャラクターが主人公としての色彩を帯び始めていた。
別にその風潮を嫌悪したわけではないが、私がボーカロイド楽曲に魅力を感じた原点はその歌唱にあるわけであって、キャラクターソングやアニメの挿入歌としての楽曲ではないのである。
「歌い手が可愛い・かっこいいからその曲も好き」ではどうにも、その曲の持つ不朽であるはずの価値が失われてしまうような気がした。

私はそれから5年ほどこのジャンル自体から身を引いた。
別に愛想を尽かしたわけでも何でもなく、むしろ邦人の楽曲を聞き始めていたからというのもある。

それから5年、私は邂逅を果たす。


あまりの情報過多に頭が追いつくことができなかった。
この曲は文法上の主語はあっても、楽曲上で出てくる主語がない。
主体が分からない「容にならないもの」とロックとのシナジーがこんなにも心地よいものとは知らなかった。
私がこうした抽象の楽曲に魅力を感じるのは、「おびただしい夢をはらんでいる無」が存在するためだ。(清岡卓行『手の変幻』 講談社文芸文庫)
この曲であれば雨、傘、この少女、それ以外のいずれに思いを巡らせたっていい。
無機質な声を通して、無機物に思いを巡らせる。いつの間にかその無機質な声も命を宿しているかのような気がしてくる。
それを支えるのは稲葉氏のフレーズにある。

「ラグトレイン(lag train)」
離れ離れの街を繋ぐ列車は行ってしまったから各駅停車で旅をする。 
「local」ではなく「lag」である。

お気に入りの靴の身代わりになって、溺れる。
地球にいじわるされて掴まれているから
ジャンプなんてできない。

「モノ」にかつてここまで思いを馳せたことがあったであろうか。

あまりに深遠であるがゆえに、書いているうちに私自身も何を記すべきなのか分からなくなってしまった。

百聞は一聴に如かず。彼の「つくったモノ」を是非とも聞いてみてほしい。






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