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刻舟求剣
『呂氏春秋』に載る故事が由来
「刻舟求剣」という四字熟語をご存知だろうか。僕は高校時代、漢文の授業でこの言葉にまつわる逸話を聞いて、「なるほどな」と感心した覚えがある。
その逸話とは、中国の戦国時代末期、呂不韋(?〜紀元前235年)が編ませた『呂氏春秋』に書かれている次の故事だ。
あるとき、舟で渡河していた楚の人物が、川の中に剣を落としてしまった。彼は慌てて剣が落ちたあたりの船縁に印を刻み、対岸に着いたのち、その印の場所から水中に入って剣を探したが、何も見つからなかった。
まあ、当たり前だよね。舟が動いている以上、剣を落とした船縁に印を刻んだところで、それごと移動してしまうんだから。
逸話を現代風にアレンジすると…
この故事を聞いて、「馬鹿な人だな」という所感で済ませることもできる。
ただ、例えば楚の人を経営者、舟を会社、川を時代、剣をビジネスチャンスとでも置き換えてみよう。意訳にはなるけど、下記のような“挿話”ができあがる。
会社を経営していた人物が、あるビジネスチャンスに気付いた。彼はそのアイデアを忘れないようにメモしたが、これまで注力してきた事業が成功していたため二の足を踏み、その旧事業が落ち着いた段階で新規ビジネスを始動させようとした。しかし、彼が腰を上げたときにはすでにアイデアは時代遅れとなっており、何の成功も得られなかった。
この話を聞いて、「馬鹿な経営者だな」と容赦なく貶す人は少数派だろう。「成功体験に安住した結果、時勢の変化を見誤り、新規ビジネスの開拓が遅れる」という、あまりにも“ありがちな”話だからである。
誰も「刻舟求剣」の楚人を馬鹿にはできない
会社経営のような大きな話にとどまらず、個人単位でも似たような“失敗”を経験している人は多いはずだ。
新しい価値観、ツール、システムなどが登場している(=時代が変化している)にもかかわらず、「今まで上手くいってきた」「何となく面倒だ」という理由で、これまでのやり方を変えられないまま時間だけが過ぎている――仕事でもプライベートでも、そんな人は結構いるんじゃないかな。
この場合、「刻舟求剣」の故事に照らせば、「これまでのやり方」が「船に刻まれた印」ということになるだろう。時代が変わっているのに、従来のやり方のまま水に潜っても、得られるものは少ない。
「刻舟求剣」の四字熟語としての意味は、「時勢の推移に気付かず、古い慣習に固執すること」だ。程度の大小はあれ、また良いか悪いかは別として、世の中のほとんどの人はこの状態に陥っているものと推察する。
もちろん、伝統を守っていくことは大切だし、いつでも時流に乗れば良いというものではない。ただ、「守るべきものは守りつつ、変えるべきものは変える」という「伝統と革新」のバランスが重要なのではないかと、僕は常々考えている。