ビジネスメンター帰蝶の戦国記㉒

あらすじ 
 主人公・濃姫(胡蝶)がメンター、織田信長がメンティとなり、壁打ちしながら戦略を組み立てる戦国ライトノベル。歴史を楽しみながらビジネス戦略の基礎知識に触れる事ができます。
 第5章は、初心を見直した信長の目標に向けた動きとなります。美濃攻略を終え、『天下布武』とそれに向けた動きです。信長は何を基準に行動していたのか、読み解きます


第5章 天下布武
    ~初心回帰~

第3節 パーパス経営・天下布武

 稲葉山城の天守閣に胡蝶が招かれた。正室といえども、普段は天守閣にまで上がる事はない。
 軽装に着替えて、胡蝶は天守閣の急な階段を昇って行った。小さかった時に何度か父・道三に連れてきてもらったこともある。優しい兄・義龍の記憶が蘇る。一瞬、時間の感覚が麻痺して、父と兄が談笑しているのではないかと期待を持ってしまう。
 階段を上り切ると、そこには外を眺める信長が薄暮の中に立っていた。胡蝶が信長の横まで静かに歩いていくと、少しひんやりとした風が心地よく感じられた。
「なぁ、胡蝶よ。よくぞまぁ、ここまで生きてこれたな」
「そうですね。これまで必死でしたからね」
 胡蝶がそう言うと、再び、二人の間に長い沈黙が訪れた。この沈黙は胡蝶には心地良く感じられた。
 見える星の数が増えてくると、小姓が行燈あんどんに火を入れた。眼下には、長良川の鵜養いの篝火に火がともされ、幻想的な雰囲気をかもし出していた。
「鵜養い漁は八百年の歴史があるらしいですよ」
 美濃で育った胡蝶は、鵜匠からそんな話を聞いていた。鵜を触らせてもらったこともある。
 『古事記』『日本書紀』にも鵜養いを職業とする者が出てくる。鵜飼い漁は現代から数えれば千三百年以上続いてきた伝統である。
「八百年も変わらずに続けているのか。長いな」
「すごいでしょ」
 少し間をおいて、信長は振り返ると小姓に手で合図を送った。小姓は軽く会釈すると、階段を下りて行った。
 そして小姓が下まで降りる足音が消えると、信長は意を決したように大きくため息をついた。
「さて、これからどうしよう」
 信長が小さくつぶやく。
「どうしたのですか?」
 優しく胡蝶が問いかけた。
「これまではいつも命を狙われている感覚があった。生きるのに必死だった。それが無くなって何だろう・・・。何をして良いか分からなくなった」
 これまで信長は生きるのに必死で、先の事を考える余裕がなかった。立て続けに起きた謀反への対応や今川義元や武田信玄に狙われ必死だった。
 それが今、今川義元を討って今川氏は弱体化し、間にある三河の徳川家康とは同盟しており今川氏の脅威は無くなった。甲尾同盟は武田の姫と嫡男信忠の婚姻でより強くなった。上杉とも良好な関係があり、飛騨は落ち着いている。美濃を攻略したことで、ついに斎藤龍興の面倒事が片付いた。新たに隣国となった北近江の浅井長政には、お市が輿入れして同盟関係にある。敢えて挙げれば、伊勢長島(三重県桑名市)の一向一揆が東海道を邪魔している事が気がかりだが、美濃・尾張に攻めてくる訳ではない。当面、美濃・尾張に攻めてくる相手がいなくなり、緊張が切れたのだった。
「良い事ではありませんか。ご自分のなさりたい事をなせば良いのです」
「なしたい事か」
「はい」
 信長は再び沈黙して、鵜養いの篝火を見つめていた。
「ずっとこうしていたい」
 ポソリと信長がつぶやいた。
「そうですね。ですが、残念ながら、時を止める事はできません。いずれ腹がすきます」
「食いしん坊だな」
「ご存知でしょう?」
「知っている」
 ふたりは微笑みながら、鵜飼い漁を眺めている。
「このような時間をこれからも取るためには、何が必要ですか?」
「そうよなぁ。安心して生活ができる国かなぁ」
「安心して生活ができる国とはどのような国ですか」
 信長に問いかけながら、胡蝶は父・道三との壁打ちを思い出していた。
「争いの無い国だな」
「誰と誰の争いですか」
「人と人、国と国」
 信長は鵜飼いの篝火を見ながらつぶやいた。
「美濃と尾張では、人と人の争いを調停するのは国の仕事です。そのような国作りですね」
「うむ」
「国と国との争いは如何ですか」
「ようやく脅威となる周辺国との同盟関係が作れた。当分は大丈夫だろう」
「はい。ですが、弱みを見せれば攻めてくるかもしれませんよ。お家騒動に乗じて攻められ、滅んだ家も少なくありません」
「そうだな。今後どこかが攻めてきても、撃退できなければならん」
「そのために必要なことはなんでしょう?」
 信長は今川義元を思い出していた。今川義元は多くの優れた政策を行っていた。北条氏康、三好長慶、他の大名の政策が参考になる。ベストプラクティス。何のために何をやり、どんな効果があった。それらを領国にもってきたらどうなる。・・・答えがまとまらない。
 少し考えて信長は答える。
「家臣や民が富み、強い兵がたくさん居て、強い武器がたくさんある国だ」
「それは理想ですね」
「理想だ」
「そして信長様は、その理想を実現するために臣民を指揮するお立場にあります」
 この時初めて、信長は自分の意思で理想を実現できる事に気付いた。これまでは必要に迫られて行動してきた。言い換えれば、環境(敵国の行動)に指示されて(対応して)最善を考えてきた。必要に迫られて行動してきた。受け身だった。
 美濃・尾張を支配し、周囲に大きな敵がいなくなった今、自分の意思に沿って、環境を変える指示を出せるという事である。
「・・・・」
 胡蝶は信長が考えをまとめるのを待った。そして、信長が胡蝶を見た時、すかさずもう一つ質問を投げかけた。
「人と国はどうですか?」
「人と国?」
「国に対して人が争うということは、家臣なら謀反、民なら一揆です」
「家臣も民も富めば、そういう事は起こるまい」
「ええ、恐らくは。ですが、人の欲には際限がございません。気を付けないと足元をすくわれます」
「うむ、気を付けよう」
 この後も、信長は一揆や謀反にかなり苦しめられることになるが、この時は想像もしていなかった。
「では、信長様の理想は、美濃と尾張だけに限られた事ですか?」
 これまでも外部環境(敵国の行動)に振り回されてきた。内部(美濃・尾張)だけを見ている訳にはいかない事は、嫌という程、思い知らされた。
「うーーん。そうか、結局は、世の中全てになるのか」
「大きくでましたね」
「うん、自国が安定しても隣国が乱れれば、影響を受ける。隣国の隣国が乱れたら、隣国も乱れる。そう考えると、しっかりと安定した世の中を作るという事にならないか?」
「そうですね。そのために必要なことは?」
「その為には足利幕府にしっかりしてもらわんといかん」
 この頃の信長は、倒幕や自ら幕府を開くという発想は持っていない。幕府の権威にはまったく疑問を持っておらず、足利幕府を立て直すという考え方をしている。
「やりたい事が見えてきましたね」
「ああ」
 信長はどこかスッキリしたようである。
「何か、形にしませんか?象徴となるものがあれば、いつでも初心を思い出す事ができます」
「そうよなぁ」
「父・・・いえ、沢彦和尚に相談しませんか。物知りですから」

 数日後、稲葉山城に沢彦(道三)が呼ばれた。
 沢彦は天守閣に参上し、信長に会った。
「懐かしいのう」
 思わず沢彦は、斎藤道三に戻っていた。
「おっと、いかん、いかん。わしは沢彦じゃった」
 沢彦は頭をかきながら笑った。信長も笑って、その様子を見ていた。
「信長様、御用は何でしょうや」
 信長は胡蝶とのやりとりに、その後考えた事を付け加えて沢彦に話した。
「それを形にしたいのです。まずは、『井の口』を変えたい。政秀が『井の口というは城の名に悪い』と言っておったことを思い出したのです」
 それを聞いて沢彦和尚は、岐山・岐陽・岐阜の3つを提案した。これらから信長が選んだのが岐阜であった。

 政秀寺古記にこう記される。

『しかるに政秀世にありし時井の口は城の名に悪く候と伝し事覚之候。(略)
岐山岐陽岐阜など三つの内御好み次第と言上なり。(略)
文王起岐山定天下之古語あり』

政秀寺古記

 ここに「文王」は中国の「周王朝の文王」の事であり、岐山とは文王の出身地である。文王は西周を建国する。その子・武王が殷の紂王を討ち、周王朝を建て、天下を定めている。文王、武王の2代に渡り軍師を務めたのが太公望呂尚である。ちなみに、太公望呂尚が釣りをしていた時に、文王が太公望呂尚と出会ったことから、釣り人の事を太公望と呼ぶようになった。
 文意からこの『古語』とは、儒教の経典・四書五経か兵法書(六韜三略や史記・十八史略)を指すと推測される。史実の沢彦宗恩も、やはり只者ではない。仏教の経典だけでなく、中国から伝わる文献をいろいろ読んでいたことがわかる。
 また、組織の象徴とも言える主君の城の名前を変えるのは、CI戦略に通じる。CIとはCorporate Identityの略であり、ひと昔前に流行した従業員の意識をまとめる象徴を作るというものである。最近の事例では、会社名を変更したり、ロゴを変更したりしているのに類似する。

 岐阜の名称に満足すると、信長は本題を切り出す。
「今後、美濃や尾張をあまねく安心できる世にしたいと思っている。何か良い言葉はないか」
 これには流石の沢彦も困ってしまった。
「自分の思いを言葉にすればよろしいでしょう」
「巧い言葉が出てこないのだ」
「・・・そうは言われましても、人の思いを勝手に解釈などできませぬ」
「そこを何とか。沢彦殿のお知恵を借りたい」
「無茶を言われますな。思いを形にするのは、本人にしかできませぬ」
「そこを何とか」
 何か言葉が決まらないと、帰らせてもらえないと判断した沢彦は、いろいろと質問をして信長の意向を確認した後、言葉を選んだ。
『布武天下』

 政秀寺古記はこの時の様子を伝える。沢彦は再三断ろうとした。しかし、信長が諦めないので断り切れず、何とか『布武天下』をひねりだしたとされる。そしてこれを「思っている事を表現した字である」と信長は満足した。

 我天下をも治めん時は朱印可入候。兼て御朱印の字被爲頼に候との鈞命なり。角て澤彦再三拒辭せられ候へども堅く請う。依て不得駁して布武天下の字書付被進上けり。信長卿曰は寒天の時分滞在候て朱印の字調ひ候事、思召の儘の字なり。

政秀寺古記

 現代で言えば、社是社訓、或いは、クレドやパーパス、ミッション、ビジョンでも良い。目標とする姿、あるべき姿、実現したい事を簡潔に表現し、初心を忘れないようにするための言葉である。信長の場合、それが『布武天下』であった。以後、これを朱印にして、用いるようになる。
 ここに至り、信長もパーパス経営に目覚めたようである。

 近年の研究によると、このときの「天下」とは、足利幕府の政治を指し、地域としては京を含む畿内から信長の支配地域あたりまでを指すと解釈されている。つまり、足利幕府の支配を安定的なものにする事が目的であり、信長はその家臣として役割を果たすという事である。
 また、武の文字については、戈(『か』または『ほこ』と読み武器を指す)と止から成る文字である。甲骨文字の研究からは、本来の『止』は進むという意味である。本来の意味だと、天下に武を行きわたらせる(戦いに行く)という意味になる。つまり、宣戦布告である。しかし、信長の理解した『布武』はそういう意味ではない。
 儒教経典の解説書『春秋左氏伝』において、楚子(荘王)が次のように言っている。

『そもそも「武」という字は戈(軍事)を止める意味である。 (略)
「武」とは、暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにするためのもの』

春秋左氏伝 宣公十二年

 信長は、近年の甲骨文字の研究など知る筈もなく、一方で、春秋左氏伝は見た可能性がある。また、これを提案した沢彦は、岐阜の由来となる文王の故事を知っていることから、儒教の経典『春秋』の注釈書として知っていた筈である。沢彦が信長にその意味を説明したとして不思議はない。
 甲陽軍鑑でも七書五経として儒教経典を参照している。七書は武経七書(孫子・呉子・六韜・三略・司馬法・尉繚子、李衛公問対)、五経は儒教の経典、四書五経の五経(詩経・書経・易経・春秋・礼記)であって、春秋を含む。ちなみに四書は論語・孟子・大学・中庸である。
 信長は『我天下をも治めん時は』(政秀寺古記)と言っている事から、いくさの後の内政の話、即ち、春秋左氏伝と同じ意味『軍事を止める』と理解したと解釈するのが妥当である。

 各種文書に依れば、この頃の信長は次のような行動をしている。
 信長は上杉謙信への養子縁組の提案をしている(『米沢市上杉博物館所蔵文書』十一月七日付書状)。六角承禎が三好長逸に送った二月十三日付けの書状に、信長が朝倉義景の子との婚姻を模索している旨が記載されている(『佐藤行信氏所蔵文書』)。甲尾同盟で既に武田信玄とは同盟関係にある。三河の徳川家康とさらに前から同盟関係にある。近江の浅井長政にはお市が輿入れしている。信長の周辺国で同盟関係を模索した記録が見当たらないのは伊勢の北畠のみである。
 これらが成立して、上杉・武田が和解すれば、飛騨も落ち着く筈である。伊勢の北畠の手前に長島一向一揆がある。これは東海道の往来を邪魔しているので、いずれは何とかしないといけない。その上で北畠と同盟、又は、北畠を服従させる事ができれば周囲に敵はいなくなる。
 同盟を結べば、神仏に誓って互いにいくさを仕掛ける事ができないため、「信長領国(美濃・尾張)の周辺国全体の和平」になる。これに加えて足利義昭が上洛し、足利幕府が再興すれば、天下布武(天下=畿内と信長領国とそれらの周辺国、布武=暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする)の実現である。そんな目論見だったと思われる。
 つまりこの時、信長が目指したのは領国の拡大ではなく、美濃・尾張の安定と平和であり、その前提となる足利幕府の復権であった。

 社是社訓、或いは、クレドやパーパス、ミッション、ビジョンでも良い。目標とする姿、あるべき姿、実現したい事を簡潔に表現する時、考慮するべきは、『行動基準となる価値観』である。
 社内ルール、社内規則、社内規約など、ローカルルールは多種多様である。これらは従業員・構成員が増えて多様性が増した時、都度明文化していると急激に複雑化していく。周知に時間や手間がかかる。非効率になる。時に矛盾すら発生させる。これが擬態ブルシットジョブの増殖である。
 しかし人が増えても、統一した価値観の中であれば、大きな判断ミスは起き難くなる。多少の軋轢あつれきは話し合いで対応可能になる。それにより、ローカルルールが比較的簡素でも十分になる。
 それがどういう呼び方をされようと『行動基準となる価値観』が適切に表現され共有されるなら、明文化すべき多種多様なローカルルールは比較的単純で簡素なもので対応できる筈である。また、そうあるべきである。

(ビジネスメンター帰蝶の戦国記㉓に続く)
(ビジネスメンター帰蝶の戦国記①に戻る)

参考:第5章

書籍類

 信長公記       太田牛一・著 中川太古・訳
 甲陽軍鑑       腰原哲朗・訳
 武功夜話・信長編    加来耕三・訳
 武田信玄 伝説的英雄からの脱却  笹本正治・著
 歴史図解 戦国合戦マニュアル 東郷隆・著 上田信・絵
 富士吉田市史資料叢書10 妙法寺記 より 御室浅間神社所蔵勝山記
 楽市楽座はあったのか 長澤伸樹・著
 織田信長のマネー革命 武田知弘・著
 國分東方佛教叢書 第六巻 寺志部 鷲尾順敬・編 (政秀寺古記)
 春秋左氏伝 上    小倉芳彦・訳
 織田信長の古文書  山本博文・堀新・曽根勇二
 三好一族と織田信長 天野忠幸・著
 古事記       倉野憲司・校注


 サボタージュマニュアル  越智啓太・監訳解説 国重浩一・翻訳

インターネット情報

小氷期
 https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/topics/2017/20170104.html
 https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/656/656PDF/takahashi.pdf

戦国時代の奴隷
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00bc52b26b9fa6e0fde2415f5f0ef4cb822ae462
 https://sengoku-his.com/218

本美濃紙
 https://www.city.mino.gifu.jp/honminoshi/docs/about.html

公事赦免令
 https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000030/ht000410

SIMPLE SABOTAGE FIELD MANUAL (1944年米国戦略情報局:OSS )
 https://www.hsdl.org/c/abstract/?docid=750070

鵜飼い
 https://www.ukai-gifucity.jp/history.html


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