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WBCに、泣いた

今日、日本が世界の頂点に立ったWBC。
こんなに泣きながら野球を観たことはなかった。

試合前のチームの軌跡を振り返る映像で泣き、
一人ひとりの個性を結晶化させたスタメン発表の枕詞に泣き、
海外の一流バッターに堂々と挑む日本人投手の姿に泣き、
大仕事を終えた投手の肩をたたいて引き継ぐ投手の登場に泣き、
その重荷を背負った投手を後ろで守る選手たちの姿に泣き、
不振の選手が打っては泣き、
打って懸命に走る姿に泣き、
塁に出て次の打者を鼓舞する姿に泣き、
その動向を大きな愛をもって見つめながら
冷静に状況を見極め、目に見えないものまで見極め
最後の責任をとる覚悟で判断を下す監督の姿に泣き、
とにかく泣き続けた。準決勝以降は、早朝から泣いた。

涙腺の蛇口がひねられたのは、準々決勝のイタリア戦。
先発としてマウンドに立った大谷翔平選手が
一球ごとに雄叫びを挙げながら投げ抜く姿だった。
誰もが吸い込まれてしまう、魂の投球。

「勝ちたい」と口にする言葉の何倍も、
その姿がそれを物語っていた。
超一流の才能と技術と実績をもつ選手が、
ただただ「いま」にすべてを注ぎ込む。

その魂を燃やすような姿は、
同じチームで戦う選手たちを鼓舞したのはもちろん、
太平洋のこちら側で、決して大きくないテレビで
観ていただけの私にすら、何か超高周波の電波の
ようなものが届いた感じがした。
いや、確実に届いた。

これまでなら、こういうスーパースターの姿をみて
「すごいなー」と感動して、しばらく呆然として
そのうち高揚感はフェイドアウトして、
あるいは振り払って、また日常に戻るのが常だった。

だけど、今回は、高周波を受け取って、
何かが変化した気がした。

侍ジャパンの最年長で、
チームづくりの立役者だったダルビッシュ選手は
若い選手たちに、こう言ったという。

「大谷選手を見て『すごいな、かなわないな』ではない。
少しでも大谷選手に近づくにはどうしたらよいかを
考えてほしい」

私は野球の試合に出るわけではない。
二刀流もめざしていない。
バットもグラブも持っていない。

だから、何もできないわけではない。
私も、大谷選手に少しでも近づきたい。

そもそも「泣く」ということは、
私の魂が、何かに反応しているということ。
私に、何かを訴えようとしているということ。

いま目の前にあることに、魂を込める。
今あるものに、すべてを注ぎ込む。
そうしていきたい、いこう、と思った。

侍ジャパン、感動をありがとう。

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