掃除や片付けが嫌い?「快・しあわせな気持ち」を避けていたわたしの真理。
「少しずつ」「こつこつ続ける」
そのチカラを全く信じていなかった過去のわたし。
今、『自分のため』にようやく生きている実感がある毎日のなかで、
「少しずつ」や「こつこつ、やる」のその変化は生活するなかで
顕著に現れてきています。
その中でも
一番大きいのが「身の回りの『環境の質』が上がった」こと。
これまで自分のことを諦めて
「先延ばし癖」や「ゼロ百思考」が強かった頃は、自分の生活空間を「快適にすること」に対してまだまだものすごく疎く。自分が感じる「不快」「違和感」に対して、実際に「具体的に改善していく」という行動を取れずにいました。
『不快なまま過ごすこと』
にあまりにも慣れすぎてきたんですよね。
何か具体的にひとつ、良くなっても「続かない」のです。
他に目がいかないというか。
改善できた「ひとつ(だけ)」で満足してしまうというか。
そのくらい、
不快なままでいる自分に麻痺していました。
自分を諦めている、
現実を受け入れられていないような時は
必然的に「自分の身の回り」は快適さを失っていきます。
要は「ダメな自分」をキープすることを続けてしまう。
調子がいいときに、ほんとに一時的にはよくなる。
本当に「その時だけ」なんですけどね。
気持ちが「上がったほんの数日だけ」は、頑張れるのですが、結局は根本的なところで「変わってない」ので、「良くなる自分」を続けていくことができませんでした。
「よくなる自分」
を続けて、どんどん「幸せな気分になる自分」になっていくのが怖いんです。
抵抗がある。
これが「幸せ恐怖症」のハッキリとした特徴です。
「良い自分」をキープすることができない。
そして、やらない自分に対して「やっぱり、わたしにはできない」「向いてない」「わたしらしくない」と、色んな言い訳を持ち出してきて、自分自身「納得させる」のです。
時には落ち込んだり、時には自分を責めたり。
巧妙に、自分を「不幸」「不快」で居続けさせる。
自分の「生活環境」すらまともに「大切にできない」
という自分に、ものすごく「ダメな自分」を感じて。
ものすごく大きな「罪や罰」を感じて。
でも、
それでも「変われない自分」を選び続けてしまう。
そんなことを続けていました。
今のわたしはというと、
その状態や感覚を、ようやく深いところで理解に及んだのか。
とにかく「いい感じ」で抜け始めてこれたようで。
今は「少しずつ」「こつこつやる(積み重ねる)」ことの
面白みや恩恵をしっかりと感じ始めています。
ホント全然、わからなかったんです。
こつこつやることの「感じ」とか「良さ」のこと。
わたしにとっては、むしろ「嫌いなこと」「やりたくないこと」「『無意味じゃん』って思うこと」の部類に入る生き方・やり方だったので。
凄いですよね。
無意味、って思ってたんですよ。笑
意味のある生き方・やり方なんだって
体感できる自分になれて、今本当に嬉しいです。
こんな感覚を、みんな(うまくいく人)は、知ってた。
わかってたんだな、と。しみじみ感じています。
それでですね、
つい最近の大きな「身の回りの環境の変化」として
息子の部屋とわたしの部屋を「交換した」ということがあります。
それが、思っていた以上に良くてですね。
わたしにとってだけじゃなく、娘と息子みんなにとっての
「よい選択」だったようで。
生活が上手く流れるようになったというか、
小さなストレス・気になることがなくなって。
空間がようやく「活かされてきた」感じがあるのです。
巡りが良くなっているんですよね。
わたしが持っていた「空間による『思い込み』」も大きかったな、
と思う出来事で。
ちょっと、そのことを次書きたいと思います。
つづく
今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。