【読書感想】100年後の日本で古典になるかもしれない【みどりいせき】
都立高校に通う僕。学校には上手く馴染めない。このままじゃ不登校になるなぁとぼんやり思いながら屋上で過ごしていると、小学生の時にバッテリーを組んでいた春と偶然、再会する。気付くと僕は、怪しい闇バイトに足を突っ込んでいた──。
100年後の日本で、古典になりえる小説に出会う
よ、読みにくい。みどりいせきを開いて、数ページ読んだ時点での私の感想。それでもページを捲る手が止まらないのは、出てくる言葉に馴染みがあるからで、その言葉たちが生み出す不思議なリズムがクセになるからだ。「バイブス」や「エグめ」など今じゃみんな使ってる言葉が散りばめられるページ。
宇宙の起源から太陽系や地球の誕生、人類の歴史を経て今「自分」という存在があると言ったような、途方もなく遠く大きなものから、目の前の現実を生きるのに精一杯のちっぽけな自分への繋がりは、言ってしまえばよくある表現じゃないだろうか。けれど、大田ステファニー歓人さんは、ニキビとかバズとか、まさに思春期の若者たちが使う言葉で宇宙や生命を語る。この長い一文を読んだ時、こんな普遍的なテーマをこんなにも新しくて斬新に表現できるなんて、と衝撃を隠せなかった。
描かれる等身大の高校生たち
闇バイトを通して、何が見えてくるんだろう?と思いながらページを捲る。そうして浮かび上がってきたのは、等身大の高校生たち。
ピザを食べながら友達と笑い合う。また明日ね、って言い合いながら別れる。マクドナルドでバイトするみたいに「今日の仕事はこんだけかぁ」って言うふうに働く。そこに描かれているのは友達と青春を謳歌する高校生たちの姿だった。
自分のパーソナルスペースを自覚し、他者とのコミュニケーションや距離感がうまく取れなくて悩む。そんな思春期特有の柔らかくて脆い悩みを抱えた僕は、闇バイトを通して社会からはみ出た同級生と出会う。世界の裏側にいるような気がしていたその子たちは、普通にピザを「美味しいね」って言いながら食べて、「この曲いいじゃん」って音楽にノッたりする。
これは青春小説なのか?
これは青春小説なのか?と思いながら読み進める。読み終わった時、その気持ちは確信に変わる。これは青春小説だ。
どんなコミニュティにいようと、いわゆる世間一般の「普通」から外れていようと、この世の高校生たちはすべからく「高校生」という生き物なのだ。若さと危うさ、そして度胸を兼ね備えた、おそらく人類で最強の生き物。
青春という人生のバフみたいな期間は、彼らに味方する。誰であっても、そしてどんな社会の尺度でも彼らの本質を変えることはできない。青春を味方につけた彼らに、何者も叶わないのだという作者の思いがヒシヒシと伝わってきた。
この本を書いた大田ステファニー歓人さんの脳内と、ページを捲る私の指先でバイブスが通い合う、そんな一冊。久しぶりに読んだではなく「浴びた」と表現したくなる小説に出会えた。嬉しい。間違いなく2024年の一冊にランクインすること間違いなしの小説に出会えたことに感謝したい。