面接やオーディションを勝ち抜く方法~How to nail a job interview
アイドリングのリーダー遠藤舞さんの著書
「若いカワイイからの卒業」
のオーディションについての興味深い記述内容。
あるドラマ、すでにの出演する3人には選ばれたが
その中で唯一、セリフのあるメインキャストを誰にするかという
選抜テスト的オーディション。
著者は自身の棒読みセリフはもはや放送事故の域なので
本格女優指向の他二人のどちらかが選ばれるはず、
あとは任せたと気楽に臨んだという
しかしあけてみれば自分が合格。
きけば2回言わされたセリフの
言い方をかえてきたのが著者だけだったからだそうなのだが
かえたのではなく、シロウトすぎて1回目を再現できなかっただけだと
かの三國連太郎さんは、飴を舐めながら喋るシーンで、
ランスルーと本番、口の中で移動するアメの位置まで
動きがまったく同じだったというから、
再現性が名優の重用なスキルのひとつであることは間違いなさそうだ。
飴は一見すると些末な要素のようでもあるが、
たとえば超シリアスなシーンで
うわぁ、そこでそのほっぺのふくらみ、
なんか気になるわぁ、
リハのときはそっち側じゃなかったのにぃ、
…なーんていうことは充分に考えられる。
ひょっとしたら、その面接官は演技のシロウトだった?
あるいは演技派ふたりの差が全く見いだせなかったので、
わかりやすく「差」を提示してくれた著者を選んだ?
麻雀というのは将棋などと違って、運の要素も多分にあるので
たとえば不要カード(牌)を捨てるときに
2択3択、序盤なら5択6択でも
その時点ではすべての選択肢が等価という場面が多々ある。
そうした場合はとりあえず右にあるものから切るなど
自分なりのルーティーンをきめておけば
後悔せずにすむなどと入門書には書いてあったりする。
つまり、そういうこと?
もうひとつ、
誰にもスターの卵は見抜けないということ。
前に映画やテレビ見ていて、こいつ演技ヘタじゃーんと思ってたやつが
次々と巨匠といわれる監督の作品によばれる。
なぜ?
いま思えば中途半端にアタマでっかちなモノの見方だったのだと思うが、
ある時
「主役は演技なんかせんでもええねん、それは脇役がやればいい。主役で重要なのは圧倒的な存在感や」
とある映画監督のコトバを聞いて、ミョーに納得。
そしてその存在感というのは集団催眠のようなものだと思う。
つまりみんなの「思い込み」ということだ。
よく「垢ぬける」という表現をしたりするが、
たしかにイジったんぢゃね?とつっこみたくなるくらい変貌をとげる人物もいるが、たとえばキムタクなんてむかしから完成されたキムタクのままだったが「夢がモリモリ」のころは売り出し中のアイドルグループの1メンバーにすぎなかった。
ビートたけし氏が地方ロケの合間に高倉健さんと現地のさびれたラーメン屋に入ったときのハナシだが、そこの主は芸能には疎かったらしく、健さんのこともご存じなかったらしい。
そこのおやじは健さんに全く恐縮してなかったとたけし氏は半ば怒って書きなぐっていたのだが、オーラなどというものが、臨死体験のお花畑同様、共通認識による幻視にすぎないということの証左ではないか。
その昔、父のシゴトにくっついて日米合作映画の撮影現場に行ったことがあるのだが、すれ違った目黒祐樹氏には確かにかなりの「圧」を感じた。
でもそれは今になって思えばオーラなどではなく、
武士コスプレと色黒ドーランと太眉強面という
シンプルにこわい外見と、なによりメグロユウキという俳優名を知っていたことに他ならない。
その証拠に…というか、もしオーラなどというものが本当に存在するなら、世界基準のエネルギーを発してたはずの、リチャード・チェンバレンに、少なくともその場では気がつけなかったのだから。(かろうじてあの時難破船のセットの中心にいた汚い扮装のガイジンがそうだったのかと「答え合わせ」はできたのでリチャード・チェンバレンを見たことがあるということにはしている)
そして、また遠藤舞さんが体験したオーディションのハナシに戻ると、読者視点だと見落としがちだが、すでにその時点で著者は3人の中ではいちばんの有名人だった。そういう単純なハナシなのかもしれない。
主役に必要なのは技術よりも存在感
…というスター原理をいちばん手っ取り早くにクリアできるのは
そういうことだ。
あとこの本の中には「オーディションはカチなのか?」という項があるのだが、
わからないが、やらせオンリー出来レースなこともあるかもしれないし、ガチでやってるところもある。私の体感だと、ガチでやってるところが多いように思う。
と、こんだけですましているって、たしかnoteの時は有料記事になってたはずだからサギ的ぢゃね?(苦笑)
別に読者救済というワケでもないが、私の知見を示しておこう。
そもそものハナシとしてやらせって何のために?
ってギモンを持つ方もいるだろう。
むかし、バンドをやってたころシャレで参加したコンテストの帰り
エレベータに乗り合わせた他バンド
「グランプリは■■■ってきまってたらしいよ」
ですと。
彼らは記念受験のうちらと違い
ゴリゴリのガチ勢だったらしく
すっかりプンプン丸になっていた。
なるほどたしかにそういうこともあるのだなぁと思った。む
どういう仕組みかといえば「箔付け」というやつだ。
地道にライブなどをやって実力をつけていたバンドが
仕上げとしてコンテストというイベントで
優勝して華々しくデビューを飾る
…みたいな。
むかしあったTBSの「イカ天」も
そもそもチャンピオンの多くは元からライブハウスなどでは活躍してた方々ばっかりだったから限りなくヤラセに近いともいえる。
明確にズルしてないんだからよくね?と思うかもしれないが、実力でデビューできるんだからプロモーションがわりに使われてもなぁ…と。
めぐまれない地方組などのために空席譲ってくれよ
…みたいなのが人情というもの。
同じような、構図はかつての漫画界にもあったようで、
地道に編集部に持ち込みしながら編集者と二人三脚で成長していった作家が
コンテストでドンみたいな。
この場合、コンテスト審査自体はガチだというけど
その彼が圧倒的に有利なのは間違いない。
まあ全部聞いたハナシなのでウソかもしれないが、あっても不思議はない。
どの立場にいる人も最小限のリスクで最大の結果を得たいわけだから。
あらゆるところにホケンは存在する
土木屋さんの談合もしかり。
ある大御所ミュージシャンがコンテストというものが大流行りだったころに、コンテストだけをたよりにデビューをめざすのは、実際にはあまりに門が狭すぎるからライブハウスなどの地道な方法も選択肢にしろという説教していたことがあった。
今、思えばあたりまえじゃんてハナシだが当時はコンテストだらけだったというのと、誕生日のパラドクスではないがヒトは確率というものたいしてカンタンに錯覚をおこすということのあらわれともいえる。だから宝くじなんていうある意味パチンコより勝ち目のないギャンブルに参加する。
ところで、大昔、学生時代のことだが、
井深大というソニーの創業者の一人が、わが大学に講演にきたことがあった。
質疑応答で、
「面接で学生の能力は見抜けるのですが?」
という学生からの質問に
「残念ながら、それは難しい」
と仰った。
なんといさぎいいことか。
前に見た深夜番組の就活特集にきたある企業の面接官は
「そんな短い時間で見抜けるのですが?」
というMCの問いに
「それが見抜けちゃうんですねぇ」
とモザイクごしに自信満々に答えていた。
井深センセーがわかんねぇのにオマエごときにわかるわけねぇだろ
と思わずテレビにつっこんだ。
ちなみにNHKのコロンビア白熱教室でもおなじみ
「選択の科学」のシーナ・アイエンガーさんによれば
面接で被験者の能力を見抜ける確率はたったの 2%だという。
これが実際に仕事をさせてシミュレーションをすると
予測可能性は25%まであがるのだとか。
つまりインターンなどに参加することは
一番、偶然の要素を排除できるということか。
逆に面接官に見抜けないからこそ
みんなにチャンスがあるともいえる
そんな中でAI面接官なる動きが不気味だ
多分だけど、私のようなテンバりやすい気質を見抜くなんてのは
AIは得意そうだ
でも「価値観」をプログラミングするのは人間だ
テンパりやすいヤツが会社に利益をもたらさないって
どうしていえるんだい?
でも、AIなら会社の利益をあげるための人材選定なんて
いずれはできるようになるかもしれない
ああ
なんというディストピア!
最後にジェーン・スーのラジオで話されてたことを
「明日の入社面接のアドバイスを」というリスナーのメール
「あしたなんて急すぎてムリ。だけど有村架純になりきること。面接官はいっしょに働きたい人を選ぶはずだから!」
とスーさん。
でも、有村架純さんの別格感はさっき説明したように「共同幻想」によるもの。
実際、私は世間の有村架純さんや石原さとみさんや浅田真央さんに対する別格扱いにピンときてない。
…っていうか、有村架純になりきるってどうやるんだ?
彼女のモノマネしてる芸人なんて見たことない
ってことは、有村架純は結局、外見が9割ってことでは?
ジェーン・スーに騙されたぁ
ソーリィ
最後の最後でテンパってしまいました。
自分自身に