姉妹会合ー毒親と対決7

母親の実家行きから一夜明け、妹と妹の彼氏、わたしとKくんで、泊まっていたホテルのロビーをお借りして話をすることになった。
妹の彼氏も、嫌でなければ一緒に来てねとお招きした。
Kくんはすっかり女性の装い。
妹からは「宝子おばちゃんは、性同一性障害でも理解あると思うよ」とは言われたが、Kくんの方がイヤかな、と思って会ってもらっていない。(この気遣いは逆にKくんを傷つけただろうか。。。?)


そして、妹とは、この日初めて1人の大人として会話をした。

どういうことかというと、妹とは7歳差な上に、わたしは18歳で家を出た。小学生と高校生の生活時間が合うわけもなく、共通とする話題があるわけもなく、また妹には小さい頃怪我をさせた負い目などもあり、できるだけ触れ合わないように生活をしていたからだ。同じ家の中に住んでいて、ご飯はわたしが用意していたり、風呂を用意したりしていたが、それだけの関係だった。

妹が、どんな生活をしていて、何を思い、どんな人なのか、何も知らない。

会話の中心はやはり毒親のこと、記憶のすり合わせ。
今までわたしがnoteに書き殴ってきたことだ。
ー母親には、こんなことを言われた
ー母親は、こんなことすらしてくれなかった
ー父親のDVや浮気

わたしも父親のDVを保育園の先生に訴えようとして失敗したが(https://note.com/a_enfans/n/nd26559cd2e01)
妹も幼稚園の時、父親が自分でぶち破ったガラスで腕をざっくり切った時(https://note.com/a_enfans/n/n3f83ca7edba4)
やっぱり幼稚園の先生に訴えたらしい。
母親には「恥ずかしいことを外に言わないように!!」と怒られたそうだ。
ーー機能不完全家庭の「隠蔽」か。
「恥ずかしいことをしているのはどっちだ!?」と妹は言っていた。

妹はわたしのお下がりしか与えられず、鉛筆や消しゴムも買ってもらわず、落とし物をくすねて使っていたらしい。わたしも自分のことに精一杯、妹がそんな小学生時代を過ごしていたなんて、これっぽっちも知らなかった。というかきっと家族全員そうだったんだろうけど、自分を、そして破綻している家庭を守ろうと必死だった。

わたしもヤングケアラーのヒーローとしてやってきた。
そういえば、母親はわたしにはいろいろ「手伝え」とは言ってきたが、わたしと同じ年になった妹弟に同じように手伝わせるのは見たことなかったな(笑)
ヤングケアラーは1人で充分だし、そんなもんか。

妹はピエロとしてやってきていた。よくおどけて人を笑わせて、「頭が悪い、バカだ」と家族全員に思われ、そう言われ、そのように振る舞って過ごしてきていた。
会合が終わった後で、同席していたKくんが「えこえこの妹さんは、頭、いいよね」と言った。わたしもそう思った。

死んだおじいちゃんの話にもなった、
なぜ父親は毒親になってしまったのか、妹の発言でハッとなった。
「父親は、父親(おじいちゃん)のことは好きだったみたいだけど、母親(ばーさん)のことは嫌っていて、兄(おじさん)のことは殺したいくらい嫌い。」
おじいちゃんのお葬式で会った父親のお兄さんを思い出した。
インテリ風で父親よりずっと常識がある(ように見える)。
一方勉強もせず中卒で乱暴者でデキの悪い弟(父親)。
ーー歪な兄弟を作ってしまったのは母親(ばーさん)か。。。!!

妹に母親宛に最後の手紙を書いて送ったことを伝えて、ちょうど持っていたほぼ完成形の下書きを読んでもらった。
妹が「私も父親に何か書こうかな」と言うので、わたしもたった今気がついた、ばーさんの毒に侵された父親についてと、それからわたしと母親の関係についてを説明しておこうと思った。
「わたしも父親にも手紙を書く!」

そして毒親だったであろうばーさんも、もう90近くなっていて、もし会えるとしたら、今日が本当に最後になると思われた。
妹と相談し、ばーさんの家に電話をしてみた。
ーオカケニナッタ デンワバンゴウハー
かけてみたのに、出なくてホッとした。まだどこにいるか探る手段もあるにはあったが、そこまでするほど大事なことではなかった。

話をしてもしても、次から次へと毒親の話は尽きなかった。なにせ2人とも人生の長さそのもの、毒親から影響を受けてきている。そして残念なことにわたしと妹は同じ家に過ごしたはずだけど、親が同じというだけの、姉妹としては希薄過ぎる関係だった。

朝9時だったか10時だったかに話し始めて、昼過ぎまで延々と喋っていた。
その間、妹の彼氏もKくんもほぼ口は挟まず、わたしたち姉妹が親を弾劾するのを、黙って聞いてくれていた。







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