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「育児適性」という考え方

先日ひっさしぶりに3歳児(甥っ子をあずかった)と終日過ごして気がつく「育児のしんどさ」を言語化してみた。

まず、前提として「育児適性」がある。

職業だと当たり前に自分にとっての"適性"の有無を考えると思うのだけど「育児」に"適性"がある・ない。という前提をもつ人が少ない。

例えば、人とのコミュニケーションが苦ではなく、楽しい人は、接客や営業職など人と関わる仕事を楽しめる可能性が高いが、黙々と作業する事務だとストレスがたまる可能性が高い。
人とのコミュニケーションが苦手な人なら、黙々と作業する事務は楽しめる可能性が高いが、接客や営業職など人と関わる仕事だとストレスがたまる可能性が高い。

こんな感じで「育児」にも適性がある。

▪️育児適性がある人
→そもそも子どもが好き
→子どもと遊ぶ時間を苦痛・ストレスに感じない
→自分の生活・行動へのこだわりが少なめ
→人に合わせることが苦ではない
→体を動かす遊びが苦ではない・好き

▪️育児適性がない人
→そもそも子どもが苦手
→子どもと遊ぶ時間が苦痛・ストレス
→自分の生活や行動へこだわりが強い
→人に合わせることが苦手・ストレス
→体を動かす遊びが苦手・ストレス

私は、後者なので😂
先日、久しぶりに3歳の甥っ子と終日(といっても朝から18時くらいまで)過ごしたらめっちゃ疲れたw

甥っ子は可愛いのよ。
好きなのよ。(念のため🙏)

でも
やっぱり「育児」って疲れるわ笑


しんどかったこと。

①仕事が休みだったので、本当は自然起床するまで寝ていたかった。

でもAM4:45に甥っ子起床し起こされる。

②起床後、本当はゴロゴロしていたかった。

でもAM7:00 せがまれて公園🛝に

③ 午前中、本当はゴロゴロしていたかった。

でもAM9:00モーニング ☕️へ

④お昼寝から起床後、本当は自宅で仕事したりゆっくりしたかった。

でもAM13:00東山動物園へ

⑤動物園の中で、本当はカフェでパスタとコーヒーがよかった。

でも、スガキヤラーメンを食べた🍜


「本当はこうしたい」が何も叶わない1日だった😂

そして、
コレが7年間毎日だったな。って思い出した。

気がついたら
自分の「本当はこうしたい」が出てこなくなってた。

今振り返ると「本当はこうしたい」を出したら辛いから、それを出さないように"心を無にしていった"のだと思う。

7年累積して「産後うつですね」と診断された。

当時の私の写真には、全て表情がない。
ジブリの"カオナシ"のお面をつけているような写真ばかりが残ってる。

産後うつと診断された年の写真(長女小1の運動会にて)
参考までに、産後うつ完治後表情を取り戻した後の写真(長女6の運動会にて)

育児適性がなくて
真面目で責任感が強いと

「本当はこうしたい」をゼロにまでしちゃう可能性が高い。

パートナーや第三の大人の手(自治体のサービスや、民間サービス)をかりて定期的に意識的に「本当はこうしたい」を叶える"親を休む時間"を取ることは本当に大事だよね。と、改めて実感しました。

母親として子どもに愛情があることと、育児適性の有無は分けて考える必要があります。

育児適性のある人が苦なくやれている、子どもと公園で遊ぶことと、育児適性がないから子どもと公園で遊ぶことがしんどくて「それをやれていない自分」とを比較して『こんな母親でごめんね』と思う必要はないのです。

自分の苦なくできることで、愛情を表現できれば良いのです。

ちなみに私は、一緒にごはんを食べて「美味しいね」とにこやかに、子どもたちの話を聞くことに全集中しています。にこやかで居たいので、食事の質は、優先順位を落として、時に塩おにぎり単品やカップラーメンになることもあります笑

各家庭ごとに「私らしい子育て」ができるよう100家族100通りの幸せのカタチを「親のがっこう」で応援しています。

2024年12月28日付 東濃毎日新聞にコメント掲載いただきました


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