#時空の森羅万象物語 第Ⅵ章第55節
今節辺りから、再び戦闘の雰囲気が漂ってきます。
昴流が例の祠と接触した場面は非常に分かりづらかったかと思いますが、第51節の温泉場付近に転がっていた「何か書いてるような石」が京極家の裏の滝の水力で割れた祠(こちらは第50節にて言及)の片方ですね。
白澤は昴流達が言っている通り、人の言葉を解し万物の力に通じる神獣であり、世に偉大な人物が現れる際に出現するとされる瑞獣でもあります。
(瑞獣は「めでたい動物」という意味で、古代中国で霊獣とも呼ばれていた瑞兆の前に現れる動物達の長の事。)
白澤は昔からアマビエと同じように絵に描かれ、その絵を魔除けのお守り代わりにされたりしていたとの事。
今節の表紙絵で鏡祐が板書しているのは、江戸時代後期(近世文学)の本居宣長『玉勝間』の「うき世」と呼ばれる一節です。
(この講義の途中に、今節の謎の植物怪物化現象が起こり始めたワケですね。)
鏡祐は桜菊国(つまり日本)の近世文学を中心に研究していて、中世文学や古典文学にも興味を持っています。
(近世文学は大雑把に言うと「政治史上の徳川幕府の期間」の文学作品群の事で、本居宣長の『玉勝間』(1795〜1812)も、鏡祐が第Ⅲ章第20節で言及していた曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』(1814〜1842)も、前期・後期などの括りはあるものの、どちらも近世文学にあたります。)
この辺りにも深い理由があるので、その事に関してもいずれ書いていくつもりです。
今回も、ご愛読いただき誠にありがとうございました m(_ _)m
中高生の頃より現在のような夢を元にした物語(文と絵)を書き続け、仕事をしながら合間に活動をしております。 私の夢物語を読んでくださった貴方にとって、何かの良いキッカケになれましたら幸いです。