洗脳 最終章 人を変えるより自分が変わる
「冷めちゃうから早く食べて」
初めての義実家への帰省の事
テーブルに並べられた
大皿の食事…
私はチラリと義父をみた
義父は何杯目かのお酒を飲み
真っ赤になって食事に手をつけない
チラリと夫を見た
夫は何食わぬ顔で大皿に手を伸ばす
義弟は…
ま、この人はいいや…
私は自分の前に置かれた小皿に目を落とした
どうしょう…
「嫌いな物があるの?」と義母
いや、食べれないものはない
そういうと
じゃあじゃあ、と責めてくる
ーーーーー
何故、手が伸びないのか…
理由は二つ
一つは、大皿料理に慣れていない事
二つ目、義父が大皿料理に手をつけないから
なんで?
そう思うかもしれないけど
私には大問題。
今、考えてみれば、ちょっとおかしいかなと思うのだけど…
まず、一つ目
私の育った環境では
ごはんがあり、味噌汁があり、小鉢があり
肉(または魚)野菜、と1人1人、給食のように毎回されていた。
大皿が出る時は、鯛のような大きな魚だけ。
だから、大皿に戸惑い、手が出なかった
二つ目
私の育った環境では
まずは、父が先に手をつける
それがいただきますの合図で
父より先に手を出す事が許されなかった
私の父はお酒を飲まない人なので
食卓に並ぶ順番に食べ始める
母がまだ、台所にいてもお構いなしで
食べ始める人だった。
だから、義父より先に手を出す、
なんて、出来なかった。
義父はお酒とつまみがあれば良い
みたいな人で食事が並んでも
知らん顔だった。
せめて
「食べなさい」と言われたなら…
まぁ、数年後には、大皿に手をつける事も
義母の「冷めるから、食べて」にも素直に「いただきます」と言えるようになったのだけど。
義母が「遠慮しなくてもいいのよ」
というと、
「そうだぞ、食べろ食べろ」と義父がいい、
初めて手を伸ばす事ができた。
義両親にしてみたら
面倒くさい嫁がきたな
そう思ったかもしれないな。
私の父は亭主関白の上に気分屋
今なら、差し詰め、離婚されてしまうような人だ。母も良く堪えている
そう感じたのは義両親の関係を見てからだった。
視野が狭いというのは、こういう事
みんなの親も同じだと思っていたのだから。
義母が我が家に来た時
一つ一つ、お皿に盛り、出しているのを見て、
「洗うの大変でしょ?大皿でいいじゃない?」というので
「大皿だと残る事もあるけれど、一人一人に適量を盛って出せば必ず食べてくれますし、
大皿、小皿、で洗い物は増えてしまうので、
個別に盛った方が楽なんですよ」
というと
「なるほどね、確かに、最後残るのよね。
そういうやり方もあるのね」
とにっこり笑った。
そんな風に柔軟に人の話を聞ける義母が凄いなと思った。
実母が言ってたことをそのまま言っただけなんど、
実母だったら、人の話を聞いたフリして、
御託を並べただろう。
(そんな所が似ていて嫌になる私)
義母に育てられてたら私は?
ふと、そんな事を思った。
あまりない事なのかもしれないけど、
義実家の方が、羽を伸ばせるのだ。
実家に帰ると息が詰まるのだ。
私の両親はいいな、優しそうで
そんな風に言われたこともあり
そうなんだろうな、と漠然と思い
よそはよそ
隣の芝生は青いと。
義両親によって
その考え方はガラガラと音を立て崩れた
うちが異常だったのだと。
私の洗脳は解けた
私は両親に対するトラウマを知り
両親と距離を置いたのだった。
もう、会わない
もう、逢えないかもしれない
だけど
仕方ないのだ
私が私でいるために
親からの洗脳と束縛から逃げるためには
人は変えられない
だったら
自分が変わるしかない
私が何故、離れていくのか
他人が自分から離れていくのか
「変われない人」とは距離を置こう
そう思うからだろう
自分の人生は自分のもの
選択するのも自分
だけど
時には自分を出しすぎない事も必要。
そして
他人の話に耳を傾ける事も必要
自分の人生でも
それを支えてくれる人がいる
声をかけてくれる人もいる
その人達の気持ちも考えて生きていけたなら
きっと
人間として、大きくなれるはず。
一人になるのが怖いなら
人の話を聞く『耳』をもたなくてはいけない
人が離れていくのは
自分は間違ってないという意地が強すぎるからだ。
実父を見ていて思った。
そして
実父を反面教師にしていこうとも。
私の両親へのトラウマは消えないだろう
両親からの洗脳が無くなる日がくるのかはわからない
だけど、そんな事も
笑って話せるようになりたいな。
と思う。
ーー完