親の義務

私は出来損ないの親だ

彼の気持ちに気づかずにいた
彼は傷つき絶えていた
少しずつ
少しずつ
心の傷が大きくなっていった

なんで
できないの?
なんで
暴れるの?

なんでなんで
私は彼の心に寄り添うよりも
自分が「親である事」にこだわっていた
いい親になろうとしていた

先生の目を気にしていた

彼は心を閉ざし始めた。

言ったってわかってくれない

なぜ気づかなかった
あの時

あの時気づいていたら?

彼は同級生を信じなくなった
彼は先生に憎しみをもった

傷つけられた心が癒やされるのは傷つけられた時より時間がかかる

積もり積もった心の傷は、深くなっていた

彼は逃げ場も居場所もなかったのだ。

学校へ行けなくなった

確かに起立性調節障害にもなった
だけど
それだけではなかった

学校に行けないと誰が困るの?

不登校になって、相談した方に言われた。

私は子供だと思っていた

勉強が遅れる
コミニュケーションが取れなくなる
引きこもりになったら

本当に?それはお母さんが困るんであった、彼が困る事じゃないんじゃない?
大人がきっと困る、って決めつけてるだけじゃない?
勉強だって、コミニュケーションだって、いつでもできる
彼にとって、今、一番大切なのは、何?
疲れた心を休める事じゃない?

私は考えた

親の義務の中に
教育を受けさせる義務

がある

それに拘りすぎていた。

学校に行かない=行かせない

勿論、義務は義務だ

だけど
体も心も疲れてるのに
それでも学校に行かせるのは
親の義務違反じゃないのか?

親の一番の義務は
「子供の心身の健康を気遣う」事だ

「行かなくてもいい」
「いや、ダメだ」

こんな気持ちを行ったり来たりした

部屋に篭っても
食事によぶと必ず部屋から出て来た
ブスっとして

部屋から出てくる
それだけで良いと思った。

「声かけは続けて。特別扱いしないで」
心の専門家に言われた

ブスっとした子に声をかけるのは
非常に勇気がいる事だった

はぁ、とため息をつくこともあった

部屋にバリケードを作ったこともあった

どうなるんだろ
見えない壁の向こう
見えないゴール

高い壁の前で
私は何度も泣いた

反抗期も重なり
暴言もあったが
意思表示が出来てるから大丈夫

そう思っていた。

好きなようにやらせてみた

ゲームにハマった
だけど
何も言わなかった
きっと、飽きてやめる
私は思っていた。

そのあたりから
なんか、変わって来た

目つきが穏やかになって来た

ゲームに飽きた彼が
次に興味をもったのは
カメラだった

これはチャンスだ!
私は思った

写真を撮るために
外に出せるからだ

「何処、撮影に行こうか」

そういって、誘い出した

電車に乗って梅の花を見に行ったり…

一日中、歩き回った日もあった

段々と彼の顔が明るくなった

でも、まだ、激昂することもあった。

心が修復するにはまだまだだった

学校に行けないなら、家の手伝いをして、とお風呂掃除を当番にした。

出席日数が足りないので、公立一本
数学だけは公文に行かせてたが、他が心配だった。

だが、受かった。
「やったー!嬉しい!」
満面の笑みで笑った彼
久しぶりの満面の笑みだった

だが、進級はできなかった

彼は
「通信制高校にいきたい」と言った
何度も何度も話し合った。
だけど、彼の気持ちは変わらなかった。

通信制高校に移ってから
彼は明るくなって
持ち前の人懐こさで友達が増えた

だが、まだ心は完全修復されてなくて、
また、籠るようになった

いつ、辞める、というか
はらはらする毎日だった

なんだかんだとありながら、
彼にスイッチが入り、高認を受けたり
しながら、卒業を手に入れた。

卒業するまでに5年かかったけど
その5年間は彼にとって、無駄なものではなかったはずだ

なんの目的もなく高校にいくよりも
色々と考えながら過ごしてきた

自分の進むべき道をじっくり探していた。

人生は長い
この5年間はきっと
彼にとって貴重な経験だったはずだ

そして
私は彼の長い反抗期から解放された。
親の義務についても考えさせられる
5年間だった

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