昆虫と共生する秋のひとこま
昨日は仕事中にオニヤンマがどこからか入り込んできて、
(ひ~~)と思いながら、若い男性の名をつい叫んでしまう。
「どうしたんですか?」
「あれ、なんとかしてほしい」
吹き抜けの天井でバタバタしている、恐ろしい大きさのトンボ。
「あ~涼しくて入っちゃったんだね」と爽やかに語りながら、
大きな脚立と長い掃除用具を持ってきて、静かにその先に止まらせる。
そして、そのまま外へ出してあげる。
「こいつは、大きな蜂も食べてくれるやつなんですよ」
「へ、へえ」
なぜ、男の子というものは昆虫が好きなのか理解できない。
そもそも、デカいトンボがデカい蜂を食べている姿を想像するだけで、
背中がぞわぞわしてきそうなほど、ホラー映像だ。
花畑で土いじりをしていると、あれこれの虫と出逢う。
詳しい名前は良く分からないけれど、大雑把な分類は分かる。
まず、土いじりを始める前に大事なのは、
蜂がどこらへんで仕事をしているかに加えて、
この頃では、蜘蛛の巣がどこらへんに、
どのような形で作っているか、確認する必要が最重要事項となる。
支柱とコスモスの間、電柱と低木の間、
ここぞという場所は隙間なく狙って、
上下左右二重三重のマンション的構造、
三人一緒の、込み入ったあやとり状態のような蜘蛛の巣。
秋は昆虫とのテリトリー争いが続く。
ドキドキする。
外ならどんなデカいトンボが飛んでいようが、
お互いに関知しないけれど、一番の問題は宇宙ステーションのように、
設計図が難しすぎる、重層構造建築の蜘蛛の巣だ。
気を抜くと帽子に張り付いて、いや~な気持ちになる。
とりあえず、見て感心し、益虫としてのリスペクトの念は飛ばす。
次に、私がそこを通るため、
或いは作業するために、どこの糸を壊せばいいか吟味する。
お互いの妥協点は最小限の恨みを残すだけにする。
残滅させなければ、私に悪気はないことが分かってくれると信じている。
生きている昆虫は蜘蛛だけではない。
雨続きで水には困らないが、
水瓶にトンボやカブトムシ的な黒い死骸が浮かんでいる。
心なしか、見慣れたオタマジャクシの形がユラユラと動いている。
春だけではなかったのだろうか・・・これからあの大人の形になって、
草捨て場の中で冬眠するのだろうか・・・考えただけでゾワゾワする。
しかしこの夏の暑さと雨続きで、
草取りに忙しくて、オタマジャクシのことなど考える余裕がない。
来年のためにやっておこうと思った場所で、次々と仕事をこなす。
今日もスタートは朝の五時からだ。
ひとり野外フェス状態なので、全部一緒に歌えてテンポよく仕事が進む、「日本の恋とユーミンと」が、このところのお気に入り。
たまに曲を聞いていた当時の自分に戻って、佇んでひと休みする至福。
「ヘビーー!ヘビー!」
登校する小学生集団が、
ガウラやバーベナのあたりで、声を合わせて叫んでいる。
ここで一度も見たことがないけれど、蛇と聞いてしまっては、
怖いけれど、大人なんだから小学生を助けなければと勇気を奮いたたせる。
「おはよう。蛇いたの?」
「おはようございます」
「おはようございます。違います」
「おはようございます。セミいたのー」
「ああ蝉ね(良かった・・・)」
声を掛けた途端、安心したけれど、次に大きな声でカエル様が鳴く。
響く「ゲロッ」の一言で、小学生達が蜘蛛の子を散らすように走り出す。
「キャー!」の大合唱に、取り残されて唖然としながら、
ランドセルを跳ね上げて走る子供らの姿を目で追う。
ああいうのを、韋駄天走りと言うのかも知れないな~と見とれる。
(ホントに田舎の子?)
「車に気を付けてね~」と走る背中に大声を掛けて笑っていたら、
葉っぱかと思ってた、デカいバッタが足元に飛び跳ねてきて、
(まだカマキリでなくて良かった…)と、大人らしく心を落ち着けた朝。
たくさん見つけたカミキリムシ位は足で踏んづけて殺しても、
バチが当たらないのではないだろうか、どうだろうか、だめだろうか。
カミキリムシなら、殺せる気がする・・・。