復活戦日記*11月11日
高所恐怖症のため、地べたを選んで暮らしているせいか、
この記事には少なからず衝撃を受けた。
記事の中の航空写真はどう見てもジオラマ画像に見える。
よく、オーラがあるとかないとか人を評するけれど、
少なくとも表情や声色やしぐさなどで、
相手の心のゆらぎは読み取れるものだ。
だけど、この写真くらい離れてしまうと、
個人の個性というものは無くなり、地球の一部になってしまう。
そうすると感覚に訴えるものは、集合的無意識の中で暮らす人びとの、
ミームと呼ばれる、社会的遺伝子の可視化が醸し出す「雰囲気」、
というものなのかなとボーっと考えた。
誰もが、喜びも哀しみも人から与えられている。
悩みというものは常に人間関係で、影響は計り知れない。
タグチさんの「つるっとしていて」という表現は、
いかにも美術少年らしくて、言い得て妙だ。ツボにはまる。
私はというと、野球もあまり興味が無いので大谷ニュースに、
(またですか。。。)という思いは同じでも、
人生は一回目か二回目くらいの男性と思っていた。
人それぞれの感覚は面白いと思った。
まっさらな魂でないと多くの人に愛される理由が私には分からない。
だけれども確かにおっしゃる通りなので、
天邪鬼な自分のことを少々恨めしく反省する。
彼を育てた空気を、家族やファンの方々、恩師や野球以外で考えてみた。
大相撲九州場所も大関、大の里がいい感じだ。
きっと、先輩力士遠藤を意識し、かつての横綱輪島など、
郷土の近隣出身の、或いは石川県や北陸出身の関取の歴史を、
髷も充分に結えない、その若い体に染み込ませていると思う。
誰しもが故郷の、血肉になる「共通の知」という積み重ねがあるのだ。
大谷選手の翔平と言う名は、
かつて奥州衣川で非業の死をとげた牛若丸こと源義経と、
平泉と言う地名からつけたと、どこかで目にした。
江戸時代の蘭方学者の高野長英や、
二・二六事件で銃弾に倒れた斎藤実内大臣の記念館には、
勉強に出かけて、その生き方に誇りを持ったかも知れない。
阿弖流為は、想像の中の遠い時代に生きた先人でしかないように思うが、
小学生時分には後藤寿庵の努力と功績の上に、
豊かな地元の農村地帯が出来上がったことを習って、尊敬したことだろう。
彼の郷土の偉人には先駆者が多いと思う。
「大風呂敷(ほらふきの意)」と呼ばれた関東大震災時の東京市長、
後藤新平は「二刀流」を掲げた彼と通ずるところがある。
李登輝氏に「台湾発展は後藤新平のリーダーシップのおかげ」と言わしめ、
台湾の親日に寄与したように、これから難しくなりそうな、
日米両国の、国民の懸け橋の一端になって欲しいと願う。
彼から派生して、「応援する」という、
前向きで濁りのない気持ちのつながりが、元気と笑顔を増やし続け、
世界は明るく楽しいものなんだと、弱者への慈しみが広がりますように。
心からそう願う。
「銘菓、大風呂敷」の画像を見たら、
あんことか生クリームとかチョコレートが食べたくなってきた。
食欲が快復のバロメーターだなと思ってしまう。いいぞ。