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全力で読まないなら「趣味 読書」と言わない方がいい*目覚めさせた女と呼ばれたい伝説

帰ってきてnoteを眺めて驚いた。

私のコメントが記事になっているではないか。。。

しかも彼の画面背景は黒だったせいか、
なにか禍々しいコメントにも思えるではないか。。。

しかも記事に載せられるなら顔文字なんて使わなければ良かった( ;∀;)

私の口は品が良く、小さいですから (*´з`)

蒼井さんの記事を眺めたところ、私の未知の世界がそこにはあった。

ふたつくらいスキをつけた気がするが、実際はあれこれ読んで眺めていた。

だけれども、それらは「スキ」をつけるほど、私の生活に親しくなく、
恐れ多いと言える程で、書くために生活のほとんどを粉にして、
その身にまとっているように思えた。

女性とのワンナイトラブでさえも。

ぼんやりとエッセイストになりたいなぁとこの頃思う。
どうやったらなれるんだろう・・・。
小さなコラムをたくさん書いてみたい。
誰かが読み捨てていく文章でなく、誰かが切り抜いて
ひとときノートに貼ってくれるような言葉か、お話の雑文。

と、記事に書き込んだ私とは、生活のスピードと、
差し出す生贄のような自分の気持ちのカケラの種類も、まるで違う。

私自身は、「てにをは」を何度も編集することはあるけれど、
基本その時の気持ちの、殴り書きや書き捨てだ。

それなのに「誰かが切り抜いてひとときノートに貼ってくれるような」は、
おこがましいとか、赤っ恥な考えではなかろうか、と思い返した。

書いてしまえば、「 本も文章も読み手のもの 」と私は思っているので、
間違いはないけれど、それほどまでに言葉と物語に向き合っていることに、
世界の広さと、その強靭な能力に感服して出てきたコメントだったのだ。

画像に出てきた村上春樹の文庫本の表紙は、何度も手に取った証拠として、
角が擦り切れていることにも衝撃を受けた。

記事の中で話す、村上氏の生活スケジュールにも度肝を抜かれた。

なぜなら私は村上春樹の本は、面白いと思ったことがないからだ。

ただし、ほんの数冊読んだうちでの感想。

「 なぜ、簡単なことを難しく書くのか 」

「 読んだ人が、意味のない万能感を身に付ける気がする 」

そのふたつが理由だ。

イスラエルで「 壁に卵 」発言をした時も、それは私の好みではなかった。

「ノルウェイの森」の主人公でさえ、
私の好みではないという理由で、好きになれなかった。

それでも、そのように人の心を動かせる何かを敬服していたし、
その敬服を引き起こす何かが、体力を身に付けることだという納得に
つなげていただいたことにさえ、それもまた敬服した。

蒼井さんの記事を読むことですら、私にとっては体力が必要だったからだ。

それは脳を動かす力と言っても過言ではないと思う。

文学という一端に初めて触れた気がしたのだ。

「あの時が分水嶺になった」と、
将来、回顧録の中に私を登場させてもOKですよ (笑)

私も蒼井さんの伝説の中に、ともに生きていきます( *´艸`)

ペンは剣よりも強し、というタイプの。






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