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「行政の存在」と「政治の貧困」

朝ドラの裁判官のセリフに、朝から聞き惚れた。
広島と長崎の原子爆弾投下に「無差別攻撃」とはっきりと見解を示し、
判決の主文は棄却としながらも、個人に対しての尊敬や、
国としてのプライドを内包しながらの、苦悩の滲んだセリフだった。

こんな風に、表現の自由を上手く使った脚本家に感銘を受けた。

そこには行政の存在意義と政治の貧困による国民の不利益という、
ふつふつとした怒りも感じられる。

どの災害にも言えることではあるが、
今年のお正月に起こった、能登半島地震の復旧のあり方については、
さまざまな意見と事情を思いながらも、知るにつけ辛さがある。

未だ手つかずの被災状況を見ると、その遅延に歯がゆい思いがする。

311は広範囲であるがゆえに、
地域格差というものが復旧に如実に表れたと思うが、
語られる「それぞれの被害状況が違う」という一括りに、
多くの人が納得して聞いたのではないかと想像してしまう。

その一括りの中にあるひとつの大きな要因は、
行政の首長の能力の差、だということは、身近で語られてきた。

近隣と比較しながら、噂にのぼった評価はそれほど的外れではないと思う。

それぞれに邁進してきたことに代わりはないが、
政治センス、人心掌握術などの能力差はつまびらかになっていく。

それは人間がいいとか悪いとかの問題ではなく、
やはり適性能力の違いとしか言えないのだと思う。


能登のニュースを見ると、国がやり玉にあげられての話で批判されるが、
現実にはそうではないであろう。

大きな災害が起きるということは、戦争と同じで、
金銭がからむ大きなチャンスが訪れるということに他ならない。

かつての平成の米騒動で、間に入った業者が大儲けしたように、
企業や各種業者が災害で潤うためには、国ではなく、
もっと利益や損得バランスを考えて、ダイレクトにつながる必要がある。

まったく関係のないところがやり玉にあげられて、
不満のガス抜きの対象にさせられることもあるのを多くの人が知っている。

裏を読み解こうと想像することは、日本人の特性だと思うが不安になる。

不安な時代になったから、堂々と真実を取り混ぜて、
テレビの、前述のような朝ドラという、表で語られることに安心する。

なぜ音楽の教科書の最後に載っていた「君が代」を教わらないのか、
小学生になったころから、疑問だった。

ヘブライ語として読むと、
「神をたたえよう、残されたシオンの民よ。
神の予言が成就したと知らしめよう」という意味になることを知ると、
歴史というものはますます面白くなった。

歴史は常に勝者の曲解であることもまた、面白かった。

しかし、311後から、
その曲解の現実に立ち会い続けたひとりとしては、
虚しさのようなやるせなさしか感じられず、
「自分の置かれた場所で精一杯努力し明るく生きる」という、
最澄の「一隅を照らす」という言葉で慰めて暮らしている。

積極的な信念で、消極的に生きていくというようなやり方が、
自分の心の安寧秩序を保ってくれているように思う。

常に、分かってくれる人が分かってくれればいいのだ、という思いだけだ。

目に見えた大きなものを求めては、行先を間違えてきたことを知っている。

分かりやすい権力や権威、物欲にとりつかれた人々。

自分が愚かだと知ることで、
幸せという気分に触れることができる神の采配に苦悩する人々。

前総理と、前々総理の後始末に追われつづけた岸田総理は、
大変な孤高の中でお仕事をなされたと思うけれど、
これからが本当に政治家の本領を発揮できる立場に戻れることを、
多くの人は考えていないかも知れない。

女性として、男性の特性を羨ましいと思うことは、
物事をなす為に、静かに怒り続けることができることだ。

女性の優しさと男性の優しさの違いは、そこにあると思う。

東京以西はどんどん外国人のパラダイスになっていく。

インバウンド効果や、観光立国などが進むべき道だと、
目先の浅い効果のみを信じている人が多いとは思えない。

個人の自由やプライバシー、あらゆる権利は、
国が国として存在していなければ、保障されない。

若者の自殺率が世界一位であれば、
引きこもりや不登校のひとりひとりに問題があるわけではなく、
政治や教育に携わる、卑劣な大人が混じっているに決まってるではないか。

何年かぶりで従姉とゆっくりとお喋りすることが出来て、
「もう、公務員にはしがみつかない」と道庁をやめた息子さんの
話題をあれこれ聞いていたら、ますます暗澹たる気持ちになった。

まるで今日の天気のように、体が蝕まれていくような話ばかりだ。


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