ご先祖様が見ている日本中の農村風景
八月のお盆も近い。
日中の暑さを避けて、あちこちで早朝からいろんな人が働いている。
労働=対価=効率的にお金を稼ぐ、と考えてしまう人は
きっと、忙しい日常なのだろうと思う。
それぞれの家の当然の仕事、と考えてしまう人なら、
もしかしたら人情のない人かも知れない。
遠出する場合、運転中の日焼けと疲れを少しでも減らす為に、
今の時期は、かなり早朝から出発をする。
時間がずれてしまうと、
仕事や営業のトラックの後ろをイライラして走る羽目になる。
街中ならともかく、田舎の山道が続くので、
気持ちよく、テンポ良く走りたいに決まってる。
目的地に着くまでは、綺麗な緑の農村風景が続く。
朝早くから、あちこちの片隅に人の姿が見える。
大抵は草刈り機械を担いだ人達の姿。
麦わら帽子や手拭を頭にかぶせて、
眩しい白の服装で、長靴を履いて、長袖を着て働いている。
今の時期は草の成長との闘いだけれど、
ご先祖様をお迎えするお盆の時期は、お墓参りの理由だけでなく、
「綺麗にしておきたい」欲求が高まると思う。
花火大会で夜空を彩るように、地上でも、
農村の風景を彩るのは、働き者のひとりひとりの心の輝きだ。
(癒されるなぁ)と思ったり、
(綺麗だなぁ)と感じる風景は、都会であれ田舎であれ、
大抵はそこに人間の手が入っていることを、忘れてしまうことがある。
それほどまでに日常は、ひとりひとりの手で保たれていることに感謝する。
大きな、そのシルエットが、
絵画のように美しく、目を引く背の高い、枯れた木があった。
その、一枚の葉もついていない枝のひとつに、
真っ黒なカラスが、まるでフクロウのように羽を休めていた。
雑草防止に切り株をそのまま置いておくのは分かるけれど、
木を丸ごとそのままにしておくのは、きっと、
(このまま置いた方が面白い)と感じた、日常の芸術感覚かも知れない。
庭木の剪定を楽しむ人も多いが、
両側の樹木をアーチのようにつないだり、
よく見るのは、玄関先で、船の形に刈りこむお宅。
ちゃんと見ると、舳先をあげて勢いよく波間を突き進む形。
プレジャーボートに見えたり、小型のクルーザーに見えたりと、
農村でも、船が景色のフォーカルポイントに。
そう言えば、
人間が両手をあげて、大きく丸を作る形に剪定してるお宅もある。
何人も(笑)この形に仕上げるのは大変だとしても、楽しかったはず。
作成者のおじいちゃんを、長年、その姿だけは知っている。
道路を挟んだ向かい側の法面の下も、
たくさんの紫陽花を植えて世話をしていた。
まるでゴルフ場か、と錯覚してしまうように、
家の周りの休耕田を、綺麗に刈っているおばあちゃんもいる。
道路を挟んだ向かい側が、
蒸気機関車を撮影する絶景ポイントのせいもあると思う。
歩道のあちこちに見える花壇は、道路公団のテリトリーだと思うけれど、
詳しくは分からないけれど、自治会だとか、老人会などで花を植えている。
Tシャツ一枚のおばあちゃんが、素手で、しかも帽子もかぶらず、
軽装でその花壇を草取りしている姿に出くわして、
(蜂にでも刺されたら大変)と心配して眺めたら、
心配してるのは私だけではなかったことに気づく。
きっと愛犬の散歩の途中で、雑草が気になったのだろう。
小さな白い犬が、近くの木槿の幹にリードを繋がれて、
その日陰から、じっとおばあちゃんを見守っていた。
(早く散歩続けたいなあ)とか、
(車に気を付けて)とでも思っているのか、その表情は可愛らしい。
峠を越えると別の集落が現れて、
道路わきの休耕田に、「ひまわり」だらけや「芙蓉」だらけが現れる。
マリーゴールドやサルビアやアゲラタムで、
色とりどりの田んぼ一枚分まで現れて、
どれほどの労力がかかったのだろうと、心から賞賛する。
どれも道路を走らせるドライバーや、歩く人を意識しての花壇だ。
「コキア」だらけの田んぼ一枚分まで現れて、
秋には、どんなにこの赤の出現に驚かされるだろうと感嘆する。
見る人の心を綺麗にしてくれる農村風景は、いつもの夏の楽しみ。
きっと日本中の農村で、こんなにも美しく綺麗な、
八月の風景があふれているのだろうと、想像してしまう。
オリンピックのニュースばかりであふれるテレビを見ると、心が寒くなる。