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10代の純潔*海嘯記


太平洋に注ぐ、大きくて広い川を渡る。

いつもと違って、東にはずっと同じような景色が広がる。

あの日はブレーキランプが水の中に浮かんで、
たくさんの有人車両が流れて行った。

知人が彼の友人のことを話してくれた。

渋滞の車列に業を煮やして、運転していた父親が、
助手席の息子を「ここから走って行け!」と蹴飛ばして
無理やり追い出したこと。

そしてあと20メートル車列が進んでいれば父親が助かったことを。

それから、車にしっかり鍵をかけて乗り捨てて、
さらに渋滞を作ってしまった人さえいた事も。

経験したことのない災害で、腰が抜けたとか、
はって逃げたというお年寄りの話は飽きる程聞いた。

研修という名で、安い労働力の外国人の女の子達も帰国した。

まだ年若くお洒落が楽しい10代の女の子達は、
水が貴重だった際の避難所でも
ウェットティッシュで顔をさっぱりさせて、
毎朝可愛らしく薄化粧をしていた。

仕事場の高価な機械を流してしまった友人のもとに、
彼女達が帰国してしまった後、近所の方々が訪れた。

恐ろしい津波の襲来に驚いて、歩けなくなった自分を、
中国人の女の子達が両側から支えて連れ出して、
必死になって助けてくれたことの感謝を伝えるために。

途中、自分は置いて逃げてくれと話しても、
「ダメです!そんなこと言ったらダメです!頑張って!」
と力強く励ましてくれたことを。

「再建してまた彼女達に助けてもらわないと。
泣けてくる話だ。でもパワーをもっと貰わないとダメだわ~」
と言って、声を出して笑った。


ソータは坊主頭のゴツい印象の男の子。

初めて出来た彼女と別れた後はシュンとして
イマイチ覇気が消えた。

それからしばらくしたら、
醤油顔に1,000ワット灯ったみたいな明るい笑顔に変わった。

10代の恋って、なんて分かり易いんだろう。

3月11日は登校日。

可愛らしい名前の彼女は、
部活の場所が海辺のそばのプールに変わった。

大きな揺れか波が建物を破壊し、屋根を落とし、
彼女は水着のままで、遺体になった友達と一晩過ごした。

朝までいったいどんな気持ちだったのだろう。


救援物資が届く場所。

長い春休みになってしまった、高校生のボランティアが沢山いた。

女の子達は被災者にうまく声をかけられず、
どこかこわごわな様子だった。

重くなってしまった荷物に悩んでいたら、
笑顔のソータが「車どこですか?」と軽々と持ち上げてくれた。

健やかできりりとした、逞しい表情。

どうもありがとう。

それにそんな顔が見れて良かったよ。

みんながつらかった事、いつか遠い過去になってしまうといいね。



家が流されてしまい、避難所から通う教師もいる。

眠っていると、毎晩小さな手に肩を叩かれるそうだ。

肩を叩くのが一体誰なのかはわからない。

彼女の亡くなった教え子の一人なのか。

それとも、
避難所になった小学校に通った子供のひとりなのか。

毎晩体育館で横になるひとりの教師に、
まだ幼く純潔な魂が教えを求めて、すがりつく。



人は亡くなったらどこに行くのだろう。
あの頃、通るたび必ず、
私の携帯電話の電波が切れてしまうところがあった。
「こないだも朝の暗いうちから出掛けたんだけど、
今、台所から出てきたばっかり、みたいな恰好のおばさん二人が
いつもお喋りしてるよ。そのあたりで」と、こともなげに言われる。
海を背景に撮ったクラスの集合写真を教室で渡したら、
あらぬものを生徒が見つけて騒ぎ出す。
「先生たちも疲れてるんだよね。回収するでもなく、
面談日に、先日はすみませんでした、で終わり」
「夜の仕事だから仕方ないけど、海の上に何百人か立ってて、
ぞろぞろ陸に、海岸道路に上がってくる。
みんな見えないからぶっ飛ばしていくけど、俺はできない。
みんな渡り終えるまでずっと待ってる」
どこそこで出るらしい、と噂を聞くと、家族に会いたくて
見に行く人が何人もいたという笑い話もあった。
みんな一斉に脳がバグってたのかも知れないね。
そういうことにしておこう。

2011年にクローズドの掲示板に投稿しつづけた散文を、
もう、空にでも手放してしまいたいと思う。
直したいと思う文章もそのままに。

数え切れない大勢の方に感謝と尊敬を込めて。
今日で毎日note102日目。

花の種じゃなくて、苗を買ってもいいですか?あなたのサポートで世界を美しくすることに頑張ります♡どうぞお楽しみに♡