見えるものは見えないものに
「Pale Blue Dot 君が微笑めば、」という映画を見ました。
水を中心に世界の深淵を探るドキュメンタリー・タッチの作品でした。
"ペイル・ブルー・ドット"とは"淡く青い点"という意味で、太陽系を脱して遠い宇宙を今も進んでいるボイジャー号から撮られた地球の写真で、地球を形容した言葉だそうです。
冒頭の引用は映画の中で紹介された詩ですが、調べてみると神聖ローマ帝国(今のドイツの立地)、1800年前後の詩人・思想家ノヴァーリスのものだそうです。
28歳で急逝した青年だったようですが、「青い花」という小説の中で、この文章が紡がれているようです。
映画では人が感知している五感の外に、感知できていない領域の存在を、この詩を用いて表現されているように見えました。
視力による視覚情報って、人が見えているものと、他の動物や昆虫が見えているものは違うらしいですよね。
音も、ニオイも同じ。
「考える」ということについても、「考えの及ぶ」その周りには「考えも及ばない」宇宙が広がっているのでしょう。
視野を拡げる、視点を増やす、視座を高める…視覚の拡張にも色々ありますが、思考や理解についても、自分の認識している外側には無限に近い領域がある、それが世界の真理なのかもしれませんね。
うかつに「分かった!」「理解した!」などと言えないのが、この世界の真実なのでしょう。
同時に「考える」という動作が「考えられないもの」に触れるためには必要な行動なのだろうとも、考えさせられました。
何だか哲学的です。