時は命なり
僕の恩師、山口県岩国市にある浄土真宗本願寺派の本能寺の住職さんが生前に話された言葉です。
「時は金なり」の方がベーシックに使われる言葉ですよね。
僕のお師匠さんは「命はお金なんかで置き換えられるものではないよ」と説かれました。
人生は、命の続く時間。
命を永らえさせるにはお金が必要というリアルな事情はありますが、それ以前の前提条件として、「人生」は自分の持っている「この世界で過ごせる時間」とイコールで考えられると思います。
長い残り時間を持っている人も、残り僅かな時間を過ごされている人もいます。
でも繋がっていく時間の先に、誰にでも等しく確実に存在する死の瞬間。
それを思うと、僕には「時は命なり」の言葉がとてもしっくり来ます。
命そのものである一瞬一瞬の時間をどう生きるのかは、人生をかけて取り組む命題なのだと思います。
それを僕がここに記すことで、僕は改めて時間の使い方を考えられたし、誰かの心に届いて、誰かの生き方のプラス材料になれば嬉しいです。
そうしたら、僕がこの文章をしたためるのに使った時間も、有意義に使われた時間になると思うのです。
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