「わかるはずがない」
長野県東御(とうみ)市にあるパンや雑貨を扱われるお店「わざわざ」の代表、平田はる香さんの著作からの引用です。
平田さんは経営について学ぼうと色んな書物を読んで、たくさんのノウハウや失敗や成功の体験に対して、活字から情報に触れられたようです。
その行き着く先にあったのは「わかるはずがない」という結論だったみたいです。
これは、僕もちょっと腑に落ちます。
本を読んでも色んな方の講演を聴いても、それと全く同じアクションを起こして同じ成功が得られるとは限りませんし、むしろ大失敗に終わることもあるでしょう。
本なら著者、講演なら講師の、当事者にしかわからない領域はとても大きく、とても広く、とても深く、本や講演といった媒体で披露される情報は氷山の一角でしかないのだろうと思うのです。
では本を読んだり、講演を聴いたりするのは無駄か?と言うと、決してそうは思わないのですよね。
本を講演で情報をインプットし、結果として「わかるはずがない」と達観するのはアリだと思うのです。
何もインプットしないで「わかるはずがない」と諦めると、それは貴重な機会を失っている気がするのです。
「知」に全く触れず「無知の知」を講じても説得力はありませんよね。
本を読んだり、講演を聴いたりして「わかるはずがない」と思いつつ、それでも腑に落ちる気がする何かを少しずつ蓄える。
すると、自分という氷山の水面下の部分が肥えてきて、いつか自分の価値観、自分フィルターを通じて醸成された何かが、水面の上にふわっと顔を出すのかなと思います。
水面の上に顔を出す何かこそ、アイデンティティとか、個性とか、自分の本質とかなのかなと。
以前書いたのですが、自分を生きるのに必要なのは、「知識」そのものではなく、「知識」を積み重ね行為の結果の先で得られる、自分オリジナルにカスタマイズされた「意識」の方だと思います。