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光と闇

ひかりあるかぎり
やみも、またある

リメイク版のドラクエ3がリリースされ、ちょっとウワツイています。
いえ、かなりウワツイています。

引用したのは、ドラクエ作品の某悪役のセリフです。
強大な悪(といっても、あっち視点で見たら自分のことは正義と思っているはずですが)が出現した時、同時にそれに対抗する善(光、あるいは正義)が現れる。
その構図は、数多の伝説や冒険作品でおなじみの構図だと思います。
スター・ウォーズ、ガンダム、ターミネーター、グラディエーター、マーベル作品…とキリがありません。
これって、リアルの現実世界でもしばしば現れる構図だと思います。
圧政を敷く政権下で革命運動が発生したり、腐敗した政府に対して正そうとする活動家が現れたり。
現代の環境問題や高齢化問題や経済問題も、それが根深く影が濃いほど、そこに相対する抵抗勢力や抵抗思想、突飛に見えるアイデアが発現するものなのかもしれません。
ヘーゲルは弁証法で、テーゼ(定説)とアンチテーゼ(異説)から、ジンテーゼ(より高い次元の定説)が生まれる、みたいに解かれています。
強い闇があると、そこに強い光が現れ、バチバチの応戦を経て、新しく強烈な何かが形られるのかもしれません。
全てが上手く行って何事も問題ないぬるま湯の状態では、生まれる光は薄く、闇もまた浅く、新しく生まれる何かもぼんやりと曖昧な形しかないと思うと、時には何か強烈な事態に晒されるのも、未来のためには必要なことかもしれません。
2020年代初頭を生きた僕らは、コロナ禍という「闇」の時代を生き延びたサバイバーですから、これから生まれる世代にはない経験値を持っていますよね。
少し飛躍しますが、不自由なく健やかに育った人と、苛烈な環境で過ごした人では、培った能力に大きな差が出るのも、自然な事なのでしょう。
そう考えると、一見無意味にも思う学生時代の受験や、ハードな部活動といった「大変」という経験って、人格形成のために必要で大事な関門なのかもしれませんね。

状況を糧にして、勇者を目指したいものです。

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