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哲学と科学、二律両立
あらゆる学問は
「哲学」と「科学」から湧き出たもの
経営の勉強をしている時に聴いたのが冒頭の引用です。
身の回りには無数の学問が存在しますよね。
大学や高校の学部・学科を俯瞰してみても、すさまじく細分化されているように見えます。
それは現代社会が高度化・複雑化していることの証拠かもしれません。
ただ、これら高度化・複雑化した学問を源流へと遡っていくと、"事実"の追求である「科学」と、"意味"の追求である「哲学」に行き着くそうです。
「科学」と「哲学」、どっちも人間には必要な学問で、「科学」と「哲学」こそが人を人間にしている、という解釈もできそうです。
相反する関係…と言うとちょっと違う気もしますが、そういう両極や、離れた位置関係にある2つの、その両方に触れること、アンテナを向けることは大切なことと思います。
光と闇、静と動、知識と意識、国語と数学、労と使、国と国民、日本と世界、地上と水中、地球と宇宙、仕事と休み、勉強と遊び、生と死…
「二律背反(にりつはいはん)」という言葉がありますよね。
どっちかを取ると、もう一方がないがしろになる関係。
経営では「二律両立(にりつりょうりつ)」の視点が大事らしいです。
経営者は会社にお金を残したいが、社員にも良い給料を出したい、という視点。
良いものは高い、安いものはそれなり、ではなく、良いものなのに安いという目指すべきベスト。
高額であるということが購入の意図になるケースもありますけれどね。
経営者に限らず、政治家にも、会社人にも、イチ個人にも、こういう視点は大事だと思います。
わがままで強欲と思われるかもしれませんけれどね。
便利で快適な文明社会は維持したい。
でも地球環境も保存したい。
ではどうする?何ができる?という模索が大事なのだと思います。
それが人間だと思います。