見出し画像

適応障害と、会社を辞めないという選択肢について①〜お仕事紹介編〜

こんにちは。
富永晶子(トミナガアキコ)です。
実家から借りたスーツケースが半年くらいずっと家にあります。


2年前に適応障害と診断されたときのことを書きたいと思います。


その前に、私がどんな仕事をしているのか、今回はご紹介します。

私は、治験に関わる業務を担っている会社で臨床開発モニター : 通称CRA)と呼ばれる仕事をしています。
あまり一般的には知られていないですし、その仕事を説明するのも難しくて、いつも初対面の人には、「営業職です」と嘘をついてました。←

簡単に言えば、製薬会社から臨床試験の業務のみを委託し、医療機関(医師、看護師、薬剤師)と製薬会社の橋渡し役をしている何でも屋とでもいいましょうか。
ややこしいですね。漢字が多い…

最近結婚式の準備をしていて、ウエディングプランナーさんの担っている責務に近いものがあるなと思いました。

結婚式は、花屋、テーブルクロス屋、美容室、写真屋、などいろんな業種が関わり合ってます。
その中心にいるのが、プランナーさん。
みんな、一生に一度の素晴らしい式にしようと同じ目標に向かい準備します。

それぞれの業種の人と打ち合わせをしましたが、何かイレギュラーや保留事項があると、
「またプランナーさんと相談していただければと思います」と言われました。
自分ではコントロールできない部分まで責任を負わされ、会社の顔として、そのカップルの担当者として、常に矢面に立たなければならない。
そんな所が私の仕事である臨床開発モニターと似ております。
本来であれば、もっとチーム一丸となってそれぞれが責任を持って適切に仕事をこなしてくれればいいのですが、どうしても矢面に立つ担当者レベルの方に責任の比重が偏りますよね。


臨床開発モニターは、ヒトには十分な安全性が確立されていない薬剤を投与する患者さんの安全性に問題がないか、モニタリングする必要があります。そのため、人命に関わるかもしれないという緊張感の中で業務を行います。


また、医者、看護師、治験コーディネーター(通称CRCと呼ばれる病院側の治験のサポートをする人)など、関わる方は特殊な職種ですし、
みなさん、いつもお疲れで、結婚式間近の方のようなハッピーな感じではありません。


私たちが製薬会社を経由して、病院にお金を払ってる立場ではあるのですが、治験をさせていただいているという、へりくだった立場であることは、なんとなくずっと感じられます。
もちろん、病院によっては、同じ立場で、ワンチームとなって仕事をしてくれる方もいるのですが、経験上すごく稀なケースです。


私たちも与えられた報酬に見合った仕事ができたのか、製薬会社から評価される立場なので、
病院と製薬会社と、また社内のリーダーと、
三重の板挟みに合うことも多いです。


治験の手続きというのが、まぁ煩雑で、
書類の処理能力、大量の手順書から文章を読みとく能力、円滑に進めるための病院のスタッフとのコミュニケーション能力、医師と話せるだけの医学的な知識などが必要で、
実際やってみて慣れれば「こんなもんか〜」と思うのですが、
上記に示した責任の比重の重さと、
激務により、
急に会社に来なくなったり、
シンプルに体調を崩す方も多々見てきました。


その中でも、私は中途採用の同期の中では1番早く出世しました。
昔から勉強も、運動も不得意でしたが、
仕事をするのは得意だったみたいです。


そして、知らぬ間にメキメキと経験を積んでいきました。


適応障害と診断されたのは、
臨床開発モニターとして従事して、4年目のことです。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?