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映画「市子」を観た

6時起床。
起きたけど、何やら眠い。ずっと眠い。

食洗機から洗い終わった食器を出すのは、
8割くらいの頻度で私の役割になっており、
それだけ済ますと、朝の仕事はだいたい終わった
気がする。


洗濯機を回して、終わる時間まで少し仮眠をしようとベッドで寝た。
もはや仮眠どころではない。
二度寝だ。


洗濯終了のメロディは聞こえたけど、
二度寝中だったので、無視した。
無視してから何分経ったかは分からないけど、
とりあえず起きて、洗濯物を干した。

頑張った。
眠たかった。

買い物に行き、八百屋さんできくらげを買った。
人生初、きくらげを買った。
きくらげって、たぶん食べたこともないかもしれない。

昼過ぎからAmazonプライムで市子を観た。
昨日から「観るぞ!」と予定していた映画なのだ。

市子の壮絶な過去は、辛いシーンとともに、
目を背けたくなる。
感情を捨て去った真っ黒い目から映る世界はどんな地獄なのだろうかと想像するだけで、
ううぅぅと胸が締め付けられた。

ただ、市子は過去を捨て去ることのできる女性で
あることは間違いなく、「生き続ける」ことを
諦めない。


自身の存在を白紙にすること以外に、
選択肢を持てない/持たない市子の一種の「強さ」は、私には恐怖にも感じた。


社会や福祉、出会う大人も同級生にも恵まれたとは言えないので、市子自身にすべてを背負わすことは酷なのだけど、
「昔の人には会いたくないねん。夢があって、ケーキ屋さんするねん。」と同級生である北に、カラッと言ってしまえる図太さと、自殺願望のある女性と計画的にやり取りをしていた緻密さは、シンプルに恐ろしかった。

結末をあやふやにしているところから、
若葉竜也演じる長谷川も、また過去を知る人に
されてしまうのだろうかと、「羅生門」の老婆と
対峙した主人公のラストシーンさながら、
地獄が今後も続く暗示でもあるのかもしれない。


同じような題材で、「さがす」という映画があるけれど、最後、ちゃんと捕まるのは、佐藤二郎で、
出会う男性たちから「守りたい」「助けたい」と
ナチュラルに慕われながら、逃げ続けるのは杉咲花であるという、対比は私の中で興味深かった。


特別ものすごく美人でもなければ、化粧毛もなく、身なりもしごく普通なのに、なぜか男性からの熱烈なアプローチが絶えない市子の魅力は、
杉咲花にしか引き出せなかっただろう。


市子と市子の母親は、角田光代さんの「月と雷」に出てくる母親に近い性質を持っていると感じた。
角田さんの本では、その女性の「魅力」について、もっと深掘りしている台詞があった覚えがあるので、もう一度読まなければいけない。


原作では、市子の「魅力」をどう表現しているのだろうと調べたら、元々劇の脚本であったとかで、小説ではないらしい。

市子を観た後、NHKオンデマンドで、
虎に翼と、カムカムエブリバディを観た。

今日は仕事終わりの夫と待ち合わせをして、
外食の予定があったので、虎に翼でずびずび泣いてしまった顔を直して、出掛けた。

市子の感想を夫と話しながら、ファミリーレストランでご飯を食べて、帰宅した。

明日は、関心領域を観に行く。
コンテンツオーバーで、私自身がしんどくならないように、気をつけなければいけない。

2024.5.29水曜日


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