DUMP1
なんだやはり書き始めるしかないのか。そうして失うしかないのか。でもそれは回復に繋がっていて、何ならそこから得るものをあるから、次の次元に繋げるような円滑を演出しようじゃないですか。こうして紡いできたんだろうお前。これはいつの時代からだい。口上は終わりにして本質を始めようか。しかしこの悲しみは何だろうという無垢な疑問はオードブルだね。
何処へ行きたかと言われれば江戸にローマにシクラメン。あの時にその人が何をしていたのか、一つ一つの虱潰しを履行したい気分さ。そうだね江戸に行くなら士農工商を網羅したいし殿様から穢多非人にまではみ出したい。例えば道化じみた英雄のような穢多として斬首に犯されたいし、その介錯に立ち会う下級武士にも、遠く離れて判子だけ押した地方行司にも、交わることなく蜜柑をほうばる殿様にだってなりたいさ。忘れられたことさえ忘れ去られた本当の nobody にだってなっちゃうぜ。そこから見渡す景色も忘れないんだから。それでこれは全て同時なんだよ。今この瞬間でもその時の歴史のワンシーンでも、織り成す記憶のいちいちに浸透してしまいたいさこれはアルコールの作用じゃねえぜ俺の基本ビート。
ローマに行きゃあ魔女にも火にも愚衆にも、お下劣な正義を信じ切った修道士にもその正義にも成り果てたい。一個一個になりながらそれぞれを忘れて、全てが終えた後に纏めて思い出すような刹那に最高だと舌鼓を打ちたい。しかしこれって許されるのかね。許されない肉体を携えていることは問題になるのかな。頭の先はそこからはみ出ているような気もしてさ、ほんとのほんとで最先端にトリップすれば、結局は全てを自分に許してしまえるんじゃないかっていう甘い期待の全能感は、でもこの瞬間に少なくとも誰か一人は抱えてなきゃいけねえなあって、そう思うよ。じゃなきゃみんなは進めねえもの。
シクラメンってどこだよ確かに花の名前かな。もしそうだとしても妄想だとしても、俺は絶対にそこに行くよ忘れないよ。そうだな例えばそこではさ、俺とお前だけが完全に通じ合っていて、他のものらは完璧に断絶していて、そんな環境で僕らはやはりの舌鼓を打つ。通じていることの激しい残酷に身を晒し明け渡しながら、でもそれでよかったねって目と目で伝え合うのさ。他の人々は殺し合いと少しの助け合いをしている。それがそこの歴史であり原則と盲目の日常であり、押し潰された未来は現在となって無限に反復され、僕らはその書記官として厳然たる勤めを果たし続ける。もちろん書き記しながら完全の感情移入さえし、誰よりも殺し殺され犯し犯され、自分で記した歴史の神様として君臨しつつも支え続ける。罪を定義しながらだからこそ誰よりも罪深い。王もやれる道化。最高の供物。終わりの始まりとしてある空白のゼロ。ここまでくれば概念や発想の詰め合わせ。どこから湧いてきたか分からない湧出地点。剥がされ続けるマントルのその先のその先。なあこれ、あとあと何個で終わらせようか。
あと一つだとしたらそうだな。何も起こらなかった場合の闇や静寂を味わいたいよ。そこから軽く手拍子をするよ。その時の気分を生み出すものは、多分完全な自由だからさ、どちらに転んでも気持ちいいと思うんだ。その音が進む方向に、やっぱり全てが始まるよ。後から見返せば歴史かなあ。そこに乗って生きて死ぬ誰もはお前を思い出すことができないけれど、その内の何人かは理由のない涙を流しながら思い出した瞬間に忘れるさ。そんなアクセントだけで生きていけるよ。でもそれでいいだろう。そこでしか生きていけないだろう。なんせお前は自由だからな