覚書A




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 人間の認知は当てにならない、ということだけが当てになること。個人から提供されるデータはシグナル(真っ直ぐ、正射)ではなくノイズ(歪曲、変写)であるので、ノイズの有する様々な歪みや曲がり、変わり自体をデータとして収集、出来ればその場その場で一挙に俯瞰することで、その都度都度の必要に応じた真っ直ぐを、そしてその先に広がる地平・像を推論、構成すること。推論とは意識的な言語レベルで、構成とは前意識的に想念や体感のレベルで。後者でやれているならそれを前者としたり、前者に落とし込む必要はない。

 人間的な事態とは藪の中にあるのではなく藪それ自体です。その事は貴方もご存知だったと思います。しかし一点お忘れの事、藪の中を藪の外から、藪を通して覗いてもそこには藪、更なる藪の中があるだけです。貴方自身が更に生むと言ってもいい。筆を折ったり首を絞める前に貴方にしてみて欲しかったのは、一度、藪の外こそを見ること。藪の中とは関係なく、藪を忘れ、藪の外を観ること。そしてそこに、人間とは無関係に広がる地平を嗅ぎ、出来るならそれを観てから、もしもまた必要ならば、地平線を辿るようにして藪の方へと意識を移し、しかし今度は中心ではなく周辺にて淡く捉え、藪が曖昧の中で消え去っていく様を傍観すること。筆先の置けない地点は本来の曖昧を経由して無に帰るので、最初からただそれだけが在った地平を観て、それもまた出来るなら足を踏み入れ、歩き、歩き回ること。私は貴方にそれをして欲しかったと思います。お疲れ様でした。

 人間は種として自己免疫疾患、アナフィラキシー、過剰免疫であり、往々にして多くの人はその過剰、炎症を人間性と呼んでおり、現状としてそれは妥当であること。なので人間に特有の心理形態とはケロイドであること。傷への分厚い適応が繰り返し展開されていった結果が人間の心理像であること。未発達な新皮質に幇助された辺縁系での乱反射と結果的ラビリンスがそれであること。例えば扁桃体は引金と火薬でしかなく、銃身銃口という並行機能を伴い、照準やブローバックという高次機能に lead & follow されなければ単発の自傷自爆を繰り返すだけであり、それによるケロイド蓄積こそは心のお城。逆に、些細な傷を端緒として反復されたケロイドの層が切除された剥き出しの中心や、ケロイドを通し通されることによって歪曲されたノイズの全てが真っ直ぐなシグナルとなったような心理、充全に発達した新皮質の助けにより内部での反復と増幅ではなく外部への発露と伝達、共有へと舵を切った辺縁系に支持され返した大脳システムの全体、そこに起因し生起する新しい人格は、あまりにも透明であり無存在、非人間的にさえ思えるということ。しかしそのような心理様態こそが人間的であると言いたいし、大きな規模では誰もそちらへ向かう流れに逆らえはしないこと。なので私もまたこれに逆らえず、逆らわず、従っているということ。

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 人間とは人の間に組み上がる、ノイズで建てたお城に過ぎない。勿論そうでないこともあるが、殊に都市ではそうであること多く、都市自体がその物理層への写像であると言えたりもする。人間の間に立って人として一人で、まずはシグナルを演奏してみてはどうかしら。でもこれもまた摩訶不思議、渋谷で見掛けるフリーハグとか、むしろ分厚いケロイドに藪が見えるの。私は何処ぞのお城を歩いて居たり、していたりしているのかしら

 真っ直ぐ招いて真っ直ぐ出そう
 まずはワンツーストレートから
 ほんとほんとにそれしかないの!









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