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goo話 『 iPOUM 』



iPOUMが開発そして発売されるまでの社会を思い出すことができない。あの時からじわりじわりと些細な快楽が人々の人生を満たし始めた。殆どの人にとってそれは福音のように響いたし今もそうなのであるが、極少数の人々は些細な快楽の連続が代償としてもたらす気怠さに足を取られているような気がして不快だった。しかしそんな漠とした一つの不快もまた、赤潮のようにして怒涛に押し寄せる些細な快楽の群 ~ というより比喩の力をそのままに借りて死んだ生命の滓とでも言おうか ~ に押し流され掻き消されてしまうのだった。

困ったことにこのiPOUMは社会を構成する生体を識別する番号を、公式の制度としてではなく慣習としてであれど備えていたし、何よりiPOUMがもたらす出会いや遭遇は個人及び社会の発達と発展に寄与することも稀にあったので、結局は誰もがiPOUMを手放せずにいた。繰り返すがそれは大多数の者にとっては些細な快楽を膨大にもたらす神器であり、極少数にとっては福利のようにして時間を責め立てる焦燥の根源だった。

しかしそんな構図はその名の起源に値するアヘン ~ opium ~ についても、アヘンに遭遇した当時の人々の心理についてもそうだったのだろう。パートタイムかフルタイムかは問わずして一帝国の人口の大部分がアヘン窟に閉じ籠るために生きた絶頂かつ逆説の黄金の日々。その頃のことを語る者の口調はどうしても郷愁に駆られてしまう不思議な子宮のお話。その時代とこの時代に横たわる倫理なき物悲しさの背景には、iPOUMはアヘンそしてアヘン窟程の濃度も密度もないままに、それとして気づかれることなく人々を虜にして縛り付けてしまうという、iPOUM特有の没物語的な性質があった。なのでここには意識的な満足も反抗の機運も生まれにくく、よって時代の核や節として記述するに値する輝きも欠けていた。全てが緩慢かつ絶対なのだ。何よりアヘン窟にはあった外側というものがiPOUMには無く、この時代のアヘン窟は日常そのものだった。

そのような怠慢のアヘン窟を観察することのできる絶好の機会は電車という輸送空間にあった。そこでは人々が切り売りされた時間の中でiPOUMを吸引している。そして恐らくはそれと知らずにしかしながら相当に深く、ある種の変性意識状態に陥りながら時間が断片の終焉に差し掛かるまで吸引を継続し、そしてタイマーが鳴ると忙しなく立ち去っていく。やはり不思議なことに挨拶も満足も、そういうことをやっているという自意識さえ無いようだった。そして、時間としても容量としても微細であるが習慣化という魔力を身につけた常習者の脳髄は、もはや近くや隣にどんな生体が存在しているのかという、動物として最も深く古くから続いてきた認知さえも手放しているように思えた。試しに彼らの一人にこんにちはと声を掛けても、一瞬iPOUMから目を離して不審そうに視線を上げて、母音の一つか二つを呟くだけだろう。もしかするとその時に吸引していたものを吐き出しただけなのかもしれない。その他にも私と極少数の人々は、主には電車や市街地を選んで掃討作戦に打って出た。しかしながらここは現代の民主国家であり私には林則徐程の権利権力も与えられていないので、取り得た選択肢のどれもは細やかなものか違法だった。

せめて風通しをよくしようと電車の窓を開けた。しかしこれは常態化してしまっており用を成さなかった。吸引を断絶させようと声を掛け喋り掛けた。しかしその様子さえもがiPOUMに取り込まれて無数の人々に吸引される始末となった。思い切って林則徐ばりの強権を発動して街行く人のiPOUMを没収し、纏めて海へ放り込んだ。しかしながら如何なる事変も戦争も起きなかったし、この時点でiPOUMの価格は底辺にまで下がりきっていたので、吸引器を奪われた人々は新規乗り換えを駆使しつつ追加コストほぼ無しで吸引環境を即座に回復していた。遂にはiPOUMの(長期的全体的な)害を説く書籍や映像を流布したところ、殆どの人々にとってそれは新手のアヘンとなりかつどうしてかiPOUMに薬剤耐性のようなものをつけてしまって事態をややこしくした。害があろうが吸引することを(決めずに)決めた人々の吸引習慣が強化されたのだ。この時に私は生存に関する全ての闘争は絶滅の極に至るまで行わなければならないことを理解した。ワクチン様のコンテンツを流布するにあたり私さえもがiPOUMを常習する羽目になったというコミカルな顛末もまたその極端な学びを支持する要因となった。

何より困ったことだが、アヘン窟の中では穏やかに約束された腐敗と破滅という、結を含んだ起のみのような単調かつ即時完結した筋書きしか起こり得なかったように、iPOUMによって矮小化された社会からも複雑でありながら纏まりをなしたような壮大な物語が失われていた。そんな社会を織りなす事象と行き着く先は債務と戦争であり、物悲しいことにそれらもまた秘匿というか断片化されて見えにくくなっていた。とかくiPOUMの出現と普及の後には、一語か一文くらいで記述される以上の歴史が生まれなかった。そう、それも長い長い間は。

長きにわたるこんな通奏低音を打ち破ったのもやはりドラッグだった。しかしこのフィジカルなケミカルはアヘンともiPOUMとも異なり器質的なダメージをもたらさず、例え常習化しようともライフスタイルやマインドセットと呼ばれるような代物だった。かく言う私もその時代を鮮烈に生きる一人の若者であるから、時代遅れのアヘンをiPOUMに供給するようなこの業はもう終わりにして、私のアヘン窟から外に出ようと思う。


いつかの今頃にこれを記す


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