iep・q




iq が高い程、意識的に織り成す建築や構成の複雑性と抽象度が上がり、その結果として流動性を持ち始めたりする。抽象度とは簡単に、目に見えなかったり手に触れられないことの度合い。

eq が高い程、自分や他者が何処でどのように感じているのかを体感、理解し、介入干渉改変することができる。でも「何処で」「理解」「介入干渉改変」に関しては iq の助けが無いとダメかもしれない。eq は時間や空間を含む各種の構成や建築を前提としないから。

pq が高い程、安定して継続的に iq と eq を高めて行くことができる。iq や eq との関連無しに言えばシンプルに肉体が健全であり爽快である。動物として思いっ切り充全に運動することができ、必要に応じて気持ちよく食べ、しっかりと排泄することが出来る。


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iq が突出して高い個体の視線や声質、存在感は独特であり、遠かったり低かったり広かったり、何よりも分からなかったりする。造語や造言語を有していることがあり、使用の際には身振り手振りや抑揚が大きい。白目が異様に綺麗。

eq が突出して高い個体の存在感とは隣接感でありその吸着力は高く、肉体的及び心理的な接触の頻度と要求と能力が高い。返報性を強く期待しながら高い奉仕性を発揮しつつも対価報酬を独自に捻出することがある。黒目が異様にデカい。

pq が突出して高い個体は運動と消化吸収排泄の能力が高い。肌が白くどっしりとしていたり、爪や髪が艷やかだったり、体幹部の印象が太い。つまり恵体で、目は普通に綺麗。


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₃C₂ である 3 のそれぞれに言及するなら、

高い eq と pq の相加相乗によって、建築や構成の内外を行く流れを察知して乗ることが出来る。でも iq が低ければ流されるばかり、忘れるばかりで記憶も無かったり。それに、建築や構成の無い原野を模した建築や構成であっても、それとして気が付きにくく、ふとした時に権威、偶像や具体物に攫われることがある。

高い iq と eq が重なると、向かい合う相手の認知はバグって介入を受け易い状態になる。遠さと近さのリミックスが起きて、空間認知のレベルで起こる狂いの隙間からイメージやイモーション、メッセージが挿入される。当人としては pq を養っていくのがベター。基本的なコミュニケーションの負荷が本当はデカいから。

iq と pq だけが高い個体は砂漠の支配者となるが皆の乾きや渇きに気が付かないので数世代を経るか経ずして殺される。

₃C₁ である 3 のそれぞれにも言及するとして、まず iq か eq のみが高いばかりではその内に狂う。不思議なことに前者は理解されずに、後者は共感されずに狂うのかもしれない。

その内実を述べるなら、極端に iq ばかりが高ければ主には言語に由来する非人称作用を強く受けるので、少なくとも汎人称を構成してそこに留まれればいいのだが、それも出来なかった場合には非存在となりそれを誰しもに投射することで自己無き膨大な自己疎外や自己損害が起こる中で呻く非存在の語りは勿論誰にも理解できない。

他方 eq ばかりが高ければ憑依とも言える強度の共感と共鳴を繰り返す内に自己が希薄化し遂に不存在となり自分の代わりとなる存在を求め続ける幽霊と化すのだが不存在故の無内容には誰も共感することができない。

pq 単独強者はその純粋動物的高性能から他の誰かに娶られるか、または何らかの具体的文脈で支えられて寿命を全うするか、それか路傍または街の外で野垂れ死ぬことになる。最初から狂っている、ないし非人間と評価されていることもある。

₃C₃ と ₃C₀ のそれぞれには言及しない。前者については明示的には。後者については意識的に。


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全て小文字にしたのはそれら個別の要素自体は大したものじゃないし、機能という「物事の全体を便宜的に区分けした上にラベルを貼ってから恣意的に繋げ直しただけ」なので、大文字にする気にならなかった一方で、普通に小文字が好きだから。必要以上の意味を持たない小文字の方がスマートでしょ。(転倒。)

ちなみに n = 1 の小さな i の世界では、彼彼女によって全てを高めることができ、そこでそれこそは自由と呼ばれている。(転換。)


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