拡散中
数学や物理学、情報学といった、科学全体を推進させる基幹学問は、基本的に「認識の枠組みを見つめ返しつつ、その奥底に眠る、認知の発生過程を遡るための物語」であると思われ、究極的にはカエルやノミの感覚世界(特に視覚世界)に行き着くと思われますし、そのように認識されていないだけで既にそのようになっていると思います。(***少なくとも微視的な方向への展開においては。)
一人間として、そのような地点やその先の領域において、人間が人間であることについて何らかの納得感(安心感)を形成できることを祈っておりますし、そのような心理的礎石が無ければ、科学含む文化という営みは、自然の纏まりから離れてどんどん放散していくかと思われます。
そこで感じられる特殊で強大な孤独感に耐えるためにも、そして、今私達が「自然」と呼んでいる地平に落着する方向へ漸進し、自分で自分に納得して纏まりをつけていくためにも、今ここで問われ直されるは「人間としてのトータルな感性」かと思われます。
何分困難であるのは、今ここで語っているのは本来、言語表現を受け付けない事象であるということですが、それでも、私はわたしという一人間として、広がっていく自分なりの強靭な纏まりや収まりを模索しつつ、そんな過程を自分なりの言語表現として、分相応に提示し続けていきたいと想います。
敬具
追伸
始まりと終わり
fragments
images
q!
透明な世界
鳴貝
***つまり巨視的な方向への展開によって「認知への認識」にバランスをもたらしておくことが、「各人が人間としてのトータルな感性を涵養し保全すること」の前処理や準代替として機能し得るかと思います。
******なんか小煩いですね。マグネシウムと水分を摂りましょう。
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