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ムーミンをもっと考えるための回り道

最近、『ムーミン谷の夏まつり』を読んでると先週書きました。

今週も引き続き読みつつ、ちょっと回り道を始めました。

私が今一番頑張って勉強しているのはナラトロジー(物語論)なのですが、その中には登場人物に関する議論はあまり出てこないことに気がつきました。視点、焦点化という問題にはもちろん出てきます。その他の文学理論の本を読んでいてもあまり触れられていませんでした。

私が考えたいのは、登場人物の作中における役割や登場人物に何等かの変化が起きることが、どういうもので、どんな意味があるのかということです。『ムーミン谷の冬』でムーミントロールが自力で冬の乗り越えること、『ムーミン谷の仲間たち』の「春のしらべ」でティーティ・ウーが自分の生き方を見つけること、「目の見えない子」ニンニの顔が見えるようになること等…。『ムーミン谷の十一月』のフィリフヨンカのように、得意な掃除が大っ嫌いになってまたできるようになるといった、ぐねぐねした変化もあります。『ムーミン谷の仲間たち』の「セドリック」におけるスニフをどう見るか、挙げたらきりがありませんが、これらを体系的に考えてみようと思っています。(できるのか!?)

しばしば参考にしている『批評理論入門』には「性格描写」という項目があり、そこには「『性格』を重視するというイギリス的特色」と書いていました。・・・なるほど、英文学か!!

そういうわけで、英文学を勉強することにしました。

それから、ウラジーミル・プロップが昔話を分析するときに登場人物の話をしていたことを思い出したので(大学時代の記憶)、『昔話の形態学』も読んでみることにしました。


頑張れ私!!

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